著者:内田樹|出版社:筑摩書房(ちくまプリマー新書)|2005年|760円|高校生向け|独断的おすすめ度 ★★★☆
こんな題名から,「先生を尊敬しなさい」とか「先生の言うことを聞きましょう」とかいうようなお説教が並んでいるんだろうなと思うかもしれませんが,とんでもない。なぜ先生がえらいのかはこの本を読んでもらうしかありませんが,ヒントだけ言っておくと,「えらい,と思える人が先生」「えらい,と思うのは誤解」「誤解こそコミュニケーションの基本」といったところかな。
このコミュニケーションというのが,筆者の語りたいことで,その語りは対話から,交易や小説や精神分析へと飄々と流れていきますが,けっきょくコミュニケーションは可能(不可能)か,ということを軸にして回っています。
対話について筆者はこう語っています。
理解を望みながら,理解に達することができないという宙づり状態をできるだけ延長すること,それを私たちは望んでいるのです。
———————————————————————-
恋人に向かって「君のことをもっと理解したい」というのは愛の始まりを告げることばですけれど,「あなたって人が,よーくわかったわ」というのはたいてい別れのときにいうことばです。
ざぶとん一枚!
筆者の言いたいことにしっかりついていける高校生は多くないと思いますが,でも「よくわからないけど,なんか面白いじゃん」と思えれば,この本が読めていることになるでしょう。
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著者: 田沼靖一・爆笑問題(太田光・田中裕二)|出版社:講談社|2007年|760円|高校生・一般向け|独断的おすすめ度 ★★☆☆
爆笑問題が学者から話を聞くNHKの番組を書籍化したシリーズ。
この本では,生化学の田沼靖一(東京理科大薬学部)を訪問します。アポトーシス論とゲノム解析を基礎にして薬の開発をやっている人です。
幼いころに死というものがあることを知って,すさまじい恐怖にとらわれた人は多いのではないかと思います。たいていの人は,それ以後できるだけ死のことは考えないようにして,そんなもの存在しないよというふりをして,生きていきます。でも時々死というものを深く見つめる必要に迫られることもあります。それは,身近な人の死という人生上の転機においてだったり,何かの職業上の必要(葬儀屋さんとか)だったり,学問・思想的なあるいは文学的な関心に引きずられてだったりします。死を問う学問は,たいてい哲学や精神分析や文学であることが多いのですが,自然科学もやっと死を真正面からとらえることができるようになったのですね。
田沼氏の専門はこの「細胞のアポトーシス的な死」です。細胞の死には大きく分けてネクローシスという外側から破壊されての死と,アポトーシスというDNAに組み込まれている死の二種類があります。つまり,人は(生物の細胞は)老いてくたびれて,機能しなくなった果てに死がやって来るというよりも,あらかじめ死は遺伝子的に予定されていて,細胞は「そろそろ死ななきゃ」という感じで死んでいく(ホントか)ということです。人は死に向かう存在なわけです。たとえば,がん細胞はこのアポトーシスを忘れてしまった細胞なので,がん細胞にアポトーシスを組み込めばがん治療が可能になるというような応用が可能です。
(昔からわたしは思ってたんですが,ウィルスとか癌とかは人間の中に住み着いてるくせに,人を殺してしまう。人を殺せば自分も死んでしまうんだから,生物学的に見て,人を殺すのは無意味である。だから何とかウィルスや癌を,「おまえなあ,そんなKYなことしてんじゃないよ」と説得することができれば治療が可能だと思ってたんですが,それと似ているでしょうか。似てないよね。)
わたしは文系的人間で,太田もそうですから,「進化の過程では,アポトーシスは両性生殖とともに生まれた。つまり,性とともに死は誕生した」なんてくだりを聞くと,文学的に読み込んでしまいます。「おお,バタイユじゃん」とか「こっちはハイデガーだよね」とか。ま,そういうインスピレーションを与えてくれる本ではあります。理系の人には冷ややかな目で見られますけど。
このシリーズはその分野について深い知識を得たい,じっくり学んでみたいという人には全く向きません。その分野を知っている人にとっては,入口のそのまた入口あたりでうろうろしているようで,物足りないでしょう。その分野は全く無知で,ちょこっとのぞいてみたい,しかもあんまり苦労せずに学者の問題意識の中の面白そうなところだけを,しかも結果だけをつまんでみたい,という人向けです。だからこそ,あまり何の興味も持っていないような高校生には向いていると思います。
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rickie
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著者:山田雄一郎 |出版社:大修館書店|2006年|1600円|英語教師・一般向け|独断的おすすめ度 ★★★☆
英語の教師をやっていればだれでも気づくことのひとつは,日本語の読解能力が高い生徒は,英文読解の能力が高い,少なくともその能力を伸ばしやすい,ということです。文章を読んでいてこういう流れになったなら,次にこういうことを言うはずだ,とか,この言葉は本心ではなく皮肉でいってるんだろうなという推測は,日本語と英語とであらわれ方は違っていても似たようなものだと言えるでしょう。そうしたものを読み取ることを「行間を読める」と呼んだり,「読解力がある」と言っているわけです。日本語の読解力がない日本語を母語とする生徒が,英語を読むときだけ突如としてそういう能力を発揮するなんてことはありえません。
『英語力とは何か』は,英語教育や英語教育政策について精力的に発言している山田雄一郎氏の本で,大書店の英語教育・英語学関連の棚には平積みになっている本です。
大修館「英語力とは何か」より
この本の中で山田氏は,上で述べたような教師や生徒の直感を,「共通基底能力」仮説ということばで説明しています(そして,この本の大前提になっているのがこの仮説です)。これは日本語であれ英語であれ語学能力全般の共通基盤が存在するという仮説で,左の図で言うと,色の濃い三角形に相当します。
山田氏の定義によれば,英語力とは,
英語力=共通基底能力+変換能力(図のb)+英語形式の運用能力(図の表層部分)
であり,この定義にもとづいた英語力の訓練は次の4点に集約されるべきだと考えています。
- 基底能力(知識や経験)の強化(日本語・英語を問わない)
- 英語の出入力チャンネル(直通経路)の形成・強化
- 言語形式に関する知識(文法・語彙)の習得と活性化
- 言語形式を運用する技能の訓練(4技能を中心とする技術的訓練)
これまでの英語の訓練は図のc の部分,つまり伝統的な訳読授業のような英語と日本語を直接対応させる訓練だったが,本当は b の訓練が必要なのだ,というのが山田氏の議論の中心になっていて,ここから具体的な訓練方法をさまざま提示しています。
さて,共通基底能力があるとして,しかし疑問点も残らないわけではありません。たとえば,4技能すべてにおいてこの図式が有効なのかどうか。読解力においてはこの図式はかなり通用すると思いますが,それ以外の話す・聞くといったスキルにおいては,日本語の基底能力とのつながりは見えにくいだろうと思います。おそらく氏はBICS(日常的なやりとりに代表される技能)とCALP(認知的学習のための言語能力)を区別し,読解以外でもCALPの育成を中心に考えているのだと思われます。でもBICSの育成だってなかなか大変なのでは,という気がしないでもありません。
また,わたしの考えでは,基底能力との接続自体がこころもとない状態であり,したがって運用にはほど遠いというのが多くの場合だと思います(イメージとしては左のような)。
でも,英語力をどのように考えて,どのように伸ばしていけばいいのかという方向性について,わたしは基本的に共感できます。語学に関しては世の中にはウソと思いこみがはびこっていますが,この本で提起されていることはきわめて現実的な指針となりえます。もちろんそれを(つまり図式の b の方向性を)どう具体化していくかはまだまだ見えてきません。現場もいろいろ試行錯誤しているのでしょうが,解答らしい解答は見つかっていません。英語だけでなく,日本の教育の在り方全体の問題もあります。そもそも教育に何ができるかという問題もあります。それを言っちゃおしまい,かもしれませんが。
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rickie
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語彙レベル★☆☆☆|ストーリー★★★☆|知的興奮度★★★★|前提知識☆☆☆☆|対象レベル 英検2級以上|ジャンル 純文学|314p.|英語
ポール・オースター(Paul Auster) を有名にした「New York 3 部作」です。つながっているようで,つながっていない中編小説3本で構成されています。
日本では柴田元幸訳で有名になりました。柴田元幸氏が訳した現代アメリカ小説は,村上春樹が訳したアメリカ小説と並んで,柴田文学とでも言うべき一ジャンルを形成しています。柴田訳で読むのもそれ自体の価値があるでしょうが,ここでは原書を紹介しておきます。
3部作を一冊にまとめた本と,3冊に分冊しているバージョン,それに日本で刊行されているバージョンがあります。日本刊行版は,巻末に語彙がついているのがうれしいかもしれません。
3部作は次の3つで,それぞれの語彙レベルを示しておきます。
- “City of Glass” (邦題:「シティ・オブ・グラス」) ★☆☆☆
- “Ghosts” (邦題:「幽霊たち」) ★★☆☆
- “The Locked Room” (邦題:「鍵のかかった部屋」) ★★☆☆
星を微妙に分けていますが,この中でいちばん語彙レベルを高くした “The Locked Room” でも,ふつうの小説よりはやさしめでしょう。三作のキーワードは,ニューヨーク,小説,探偵。
まず,”City of Glass” は,探偵小説を書く小説家である主人公 Quinn のもとに一本の間違い電話がかかって来ることから始まります。
‘Hello?’ said the voice.
‘Who is this?’ asked Quinn.
‘Hell?” said the voice again.
‘I’m listening,’ said Quinn. ‘Who is this?’
‘Is this Paul Auster?’ asked the voice. ‘I would like to speak to Mr Paul Auster.’
‘There’s no one here by that name.’
‘Paul Auster. Of the Auster Detective Agency.’
‘I’m sorry,’ said Quinn. ‘You must have the wrong number.’
‘This is a matter of utmost urgency,’ said the voice.
‘There’s nothing I can do for you,’ said Quinn. ‘There is no Paul Auster here.’ (”City of Glass”)
ねっ,おもしろそうでしょ。Quinn を Paul Auster と間違えてかけてきているのですが,Paul Auster とはこの小説の筆者自身なわけです。ここからQuinnは,探偵 Paul Auster となって,ある人物の追跡を始める,というストーリーです。こう書くとひところ流行した,小説自体がネタ,作者と読者自体を主題にした<メタ小説>のように見えるかもしれません。事実そういうところもあり,ポストモダンな小説の一つとして扱われることもありますが,あまり理屈っぽくはなく,迷路のようなストーリーを楽しんで読めると思います。ただし,巻末ですべての謎が解決される推理小説のようなものを期待しているとはぐらかされるかも。
二作目の”Ghosts” も探偵の話。ある探偵が謎の人物から依頼を受けて,別の謎の人物の監視を始めます。その監視が何カ月にも及び,次第に監視しているのか監視されているのかわからなくなって...というはなし。
三作目の “The Locked Room” では,そこそこ売れた小説家の主人公が,突然消息を絶った少年時代の友人の原稿をその妻から受け取って出版するのですが,主人公は友人の妻と恋におち,その上原稿が大ヒットした後になって死んだと思っていた友人から連絡がきて...。わたしはこれがいちばん好きかな。全体的に村上春樹を思い出させる展開です。
単語レベルを人工的に押さえて,ノン・ネイティブ向けにリライトされているものや,児童・青少年向け文学をのぞけば,この本(とくに “City of Glass”)はこれ以上やさしく書けないというレベルです。この語彙でこれだけの小説が書けてしまうことに驚きます。
それと,”City of Glass” にはマンガのバージョンがあります。文字を多くしたアメ・コミというかんじで,特におすすめはしませんが。
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著者:市川伸一 |出版社:岩波書店(岩波ジュニア新書)|2000年|780円|高校生・教師向け|独断的おすすめ度 ★★★☆
高校生向けの本を集めている「岩波ジュニア新書」の一冊。英語に限らず,全教科の勉強法を扱っている本です。
勉強法についての本は,今年有名大学に合格した先輩が自分の体験から書いている本もあれば,受験業界の人(予備校講師や教務担当者)による本など様々出ていますが,はっきり言ってこれらはかなり癖があります。だってその人の体験が全員に通用する保証はないわけだし,業界の人の本は(かなりいい本もありますが)営業的意図が見え隠れすることもあります。
認知心理学の権威,市川伸一氏によって書かれたこの本は,そういう癖のない,しかも学問的なバックグラウンドをもとに書かれているスタンダードな学習法本になっていて,ある意味でいろんなところの本棚でこのテの本の中ではよく見かける本です。いちばん広く評価されている本と言っていいと思います。「はじめに」の中で筆者はこう言っています。
ぼくが,勉強法の本をいろいろと読んでみて,いちばん問題だと思うのは,著者自身がやってきた方法を,「こうするとよい」と一方的に書きすぎていることだ。
わたしもそう思います。人は自分の体験抜きにして,他人を動かすようなことをいうことはなかなかできないものですが,体験のみで語られると引いてしまうでしょう。自分の体験を客観視することができていないと,言葉は相手に届きません。特に勉強とか大学受験とかはほとんどの(かなり多くの)大人が経てきた体験なので,お互いに矛盾するような勉強法がいろんな人の口から出てきています。勉強法はなんかの宗教ではないので,すぐうのみにしたりせず,納得できそうなものを何回か試して,それでうまくいきそうなら本格的に取り組んでみる,というほうがいい。
さて,学者が自分の専門分野にもとづいて一般の人(つまりここでは高校生)にアドバイスを送ろうとすると,どうしても抽象的なアドバイスになりがちです。この本の筆者もそのことには気づいていて,できるだけ具体的な指針を出そうと工夫しています。でも,高校生の目から見ると,先ほど挙げた先輩たちのアドバイスに比べれば具体性に欠けているように見えるかもしれません。たとえば,数学に関して言っている「手続きから這入ってある程度習熟し,理解力が育ってから理屈を習う」とか,英文読解に関しての「できるだけ能動的に作者の言っていることをつかみとり,『なるほど。そういうことが言いたいのか。おもしろい!』という感じを持つように心がけ」るというようなアドバイスがありますが,「ふーん」という感想で終わってしまうかもしれません。
でも,わたし的にはこれらはとってもいいアドバイスだと思います。ただそれがいいアドバイスと実感できるまでには,かなり本格的な学習経験を積まなければならないかもしれません。
この本は読んで損はありません。できたら一度読んだ時には良さが実感できなかったとしても,何ヶ月かした後でもう一度パラパラめくってみると,「あっ,そういうことか」という発見があると思います。もちろん,今までさんざん苦労して,学習法に意識的になっている人は,一度で実感できるかもしれませんね。
科目別で言うと,「数学は暗記か理解か」とか「小論文作成のスキル」あたりは,特に問題意識がなくても,なかなかおもしろく読めるのではないかと思います。
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著者:白畑知彦・若林茂則・須田孝司 |出版社:大修館書店|2004年|1700円|英語教師・一般向け|独断的おすすめ度 ★★★☆
以前紹介した『外国語学習に成功する人,しない人 – 第二言語習得論への招待』(白井恭弘著 岩波書店)と並んで,第二言語習得論の入門書としていちばん取り上げられることの多い本の一つです。
外国語学習,特に英語学習については世間ではウソとデマがまかり通っています。いくらか学習経験のある人ならすぐにウソだとわかるウソから,いかにもホントらしいウソまで数限りなくあります。ウソがまかりとおっている点ではダイエット法に関するウソとよく似ているのですが,ダイエット法については時々,「あるある納豆事件」のようにウソが指弾される場合もあるのに,外国語学習法については野放し状態です。広告はその表示のしかたにさまざまな規制を受けるはずなのですが,外国語学習産業の広告には,まったくといっていいほど規制も,自己規制もかかっていません。良心的なところも少しはありますが,「楽に身につく」と称しているものは100%ウソと言って間違いないでしょう。
ウソがはびこる理由はいくつか考えられますが,
- ダイエット法とちがって,検証可能な客観的データがとりにくい
- 誰でも英語を学んだ経験があるので,自分なりの学習観を持つ人が多くて乱立しやすい
- 特に英語学習は市場規模が大きく,新しいニッチを狙った「新規参入」組が,新しい流行商品を作るのにやっきになっている
- 同時に外国語(英語)コンプレックスを持つ人も多く,とにかく派手な宣伝文句にとびつきやすい
- 語学が「できる」「できない」,「マスターする」「していない」の基準がばらばらである
- 言語能力とは「読む」「書く」「話す」「聞く」や「語彙」「文法」などの技能の複雑に組み合わさった能力であり,さらに「常識」「論理的構成力」,多分野に関する知識などが要求されるが,その一面だけを伸ばすことで語学をマスターしたと誤解しやすい
- 結局,誰もが努力などしたくないし,楽な方法を求めている
というあたりがその理由だと思われます。
「英語ペラペラ」というのは誰でもあこがれますが,ペラペラに見えてもかなり間違いだらけのペラペラもありますし,間違いはないけど中身もないペラペラもあります。言葉の能力はそんなに簡単に測れるものではありません。
どんなやり方でも,それなりの効果を上げる人はいるものです。ダイエットと同じで,がんばればどんなやり方でも,いくらかなりとも力はつきます。そういう人が「このやり方はすばらしい」と思い込んでしまいます。ほんとうは,「やり方」のせいではなく本人の「がんばり」のおかげなので,別のやり方ならもっと効果を上げていたかもしれないのですが,信者になってしまった人は宣伝する側にまわって,布教活動をはじめてしまうから困ったものです。
さて,この本は世間に出回っている外国語学習についての「常識」を,第二言語習得論の観点から可能な限り学問的に検証することをめざしています。この学問分野自体,歴史は数十年と浅く,まだまだ実証的に検証できていないことが多いのですが,現在の到達点はある程度見渡せるでしょう。
取り上げられている「常識」は次のとおりです。
- 「母語は模倣によって習得する」のか?
- 「母語習得で誤りの訂正は役に立つ」のか?
- 「生まれつき備わっている言語習得能力がある」のか?
- 「教科書で習った順番に覚えていく」のか?
- 「繰り返し練習すると外国語は身につく」のか?
- 「外国語学習は音声から導入されるべき」か?
- 「聞くだけで英語はできるようになる」のか?
- 「多読で英語は伸びる」のか?
- 「教師が誤りを直すと効果がある」のか?
- 「日本人学習者もgoedやcomedと発話する」のか?
- 「やる気があれば上級学習者になれる」のか?
- 「頭のいい人が外国語学習で有利」なのか?
- 「物おじしない性格の人は第二言語習得に向いている」のか?
- 「第二言語学習者と外国語学習者では習得のしかたが違う」のか?
- 「学習者の言語適性はテストで測定できる」のか?
- 「言語学習においては女性の方が男性よりも優れている」のか?
- 「第二言語学習は幼少期から始めないと遅すぎる」のか?
- 「大人になってはじめてはネイティブ並みにマスターできる領域はない」のか?
- 「幼いうちなら日本人でも /r/ と /l/ を聞き分けられる」のか?
- 「運動機能の衰えが言語習得の到達度に影響する」のか?
- 本当に「言語習得の臨界期はある」のか?
- 「『英語耳』や『日本語耳』という区別はある」のか?
- 「英語は『右脳』で学習する」のか?
たとえば,7 では,「聞くだけで母語話者と同じような英語能力が身につくことはない」,8 では,「辞書を引くことなく,書物をいくらたくさん読んでも読むスピードは向上するだろうが,語彙力が増加したり,文法能力が高まったり,発音能力がよくなったりはしない」,23 では,「英語は右脳のみでは学習できない」と今までの研究成果を踏まえて断定しています。
17 では,「第二言語習得環境で,母語話者と変わらないレベルの言語(文法)能力を全員が身につけるためには,7歳ぐらいまでに言語習得を開始する必要がある」とか「どのような内容の英語教育を実施するかにもよるが,歌ったりゲームをしたりする活動が中心の小学校での200時間程度の『英語学習』は,文法習得の発達に影響を及ぼさない。」と述べていて,現在文科省が進めている方向性へ疑問を呈する形になっています。
もちろん,「じゃあ,それらの研究成果を踏まえて,これからどうしたらいいの?」という疑問に対して明快な答えは出てきません。学問というものはそういうものでしょうし,言語学習という複雑怪奇な設問に対して出てくる明快な答には,眉に唾して聞く必要があります。少なくとも,ある程度明快な答えを出すためには,その時点での学習対象と目的(大学受験・海外旅行・ニュースの聞き取りなど)を限定すること,どのレベルまでを目指すかを明確にすること,などが必要になるのでしょう。
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著者: 野矢茂樹・爆笑問題(太田光・田中裕二)|出版社:講談社|2007年|760円|高校生・一般向け|独断的おすすめ度 ★★☆☆
NHKで放映されている「爆笑問題のニッポンの教養」シリーズを書籍化したうちの一冊。一度でもご覧になればおわかりのとおり,爆笑問題が学者を訪ねて教わる,というか爆笑問題(もちろん太田の方が)が学者相手につっこんだり,くってかかったりというのが狙いの番組です。当然それほど深い話が期待できるわけではないですが,太田がうまく突っ込めればそれなりに面白く,かみ合わなければ編集でごまかすしかなくなります。
今回は,いきなり野矢茂樹の「田中さん,太田さん,『心って何?』と聞かれたら何と答えますか のや」というお題で始まります。太田はテーマが文系関連だと,理系の時の,御説を拝聴させていただきます型態度とはうって変わって,本来のキャラどおり横柄・傲慢と言えそうなくらいの態度で臨むようですね。それはそれでいいのですが,議論はいまいち咬み合いません。でも,咬みあわないまます進んでいくところどころに,哲学的な考え方とはどういうものなのかがかいま見えないわけでもありません。
「日本の哲学は,欧米の哲学の解説・紹介しかしない」と言われ続けて久しくなります。特に日本の哲学者は大陸系(ドイツ・フランス)の影響を強く受けてきましたから,デカルト・カントが,ヘーゲル・マルクスに,それがサルトル・ハイデガー,そしてドゥルーズ・デリダと時代とともに変わっても,コピーとアレンジという基本線はあまり変わらなかったのは確かです。最悪の場合は,哲学=哲学史・思想史的知識となり,「ニーチェが・・・」「フッサールによれば・・・」という name dropping が哲学そのものとなり,「知ること」が「考えること」を抑圧する,という悪しき図式が暗黙のうちに支配してきたようです。その批判は,ひとつにはここ十数年の英米系哲学の流行という形で,あらわれてきました。英米系は,どちらかというと,ということだけど,知識のよろいで身をまとうより,徒手空拳で課題にぶつかるのを好むようです。哲学者は「ものしり博士」であるより,「考える人」であるべきだ,ということになります。
この本に戻ると,哲学者の名前はほとんど出てきません。野矢は,太田と対等の立場で「心とは何か」についての議論を知識としてではなく,先人が何を言ったかではなく,ごくごく普通のことばでゼロから考えようとしているように見えます(ホントはゼロからなんかではないですが)。
野矢: だから一枚岩の「これが心です」って言えるようなものはなくて,世界に入らなかったから,とりあえず心に入れておきましょうみたいな「ゴミ箱」みたいなものになっていると思うの。それが僕らが思っている「心」っていう概念。
この本を読むのに,哲学用語の知識は全く必要ありませんが,彼らの考えの筋道をたどる努力は必要です。それを小さな哲学と呼べなくはないでしょう。後半では,野矢と太田はなんとなく近づいてしまっています。この辺は番組を成立させる爆問の力量なのでしょうか。
最後のインタビュー部分で野矢は「哲学病」について語っています。多少冗談交じりでありますが,哲学者は年季の入った哲学病患者であり,初心者の哲学病患者にアドバイスできることが,哲学の社会的貢献であると。
ここで「哲学病」と言っているのはどういうことなのか説明しにくいけれど,たとえば自分とか他人というもののわけのわからなさ,常識的にあたりまえのことが,自分でも当たり前だとはわかっているけれど,でも何とも言いようのないひっかかりを感じてしまう,そういう経験のことを言っているのだと思います。おそらく誰もがそういう経験を一瞬は感じるでしょうが,ほとんどの人はすぐに忘れてしまいます。それを忘れられなくなるのが「哲学病」なのでしょう。
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著者:白井恭弘 |出版社:岩波書店(岩波科学ライブラリー)|2004年|1100円|英語教師・一般向け|独断的おすすめ度 ★★★☆
英語やその他の外国語の学習法についての本は,本屋へ行けば山ほどありますし,ネット上なら数え切れないほど存在します(このサイトもそのひとつか)。どの本やサイトもいろいろのアドバイスをしてくれますが,ある意味で情報が溢れすぎていて,これから勉強しようという人たちにとってはどの情報を信じていいのか迷ってしまうかもしれません。言っていることがまちまちで相矛盾していたり,それからブームのようなものもあって時代によってころころと変化していきます。最近は「脳」ということばがタイトルにつけば,科学的という印象を与えるのか,売れ線になっています。(わたしは,「脳なんたら」のつく本は基本的に敬遠していますが)
学習法本にはいくつかのタイプがあって,執筆者で分類すると,
- 一応その言語を習得した人(カリスマ・達人)が,後輩に向けて,自分の経験にもとづいて学習法を語る
- 語学の教師(学校・塾・予備校等)が,生徒に向けて,教育経験にもとづいて語る
- 学者が自分の専門分野に関する知見にもとづいて語る
2のタイプは,受験とかテストといった狭い目標に限定して語られることが多いので,その範囲では大いに参考になると思いますが,広い意味での語学学習については別の観点が必要になります。いちばん多い,そしていちばんあやしげなのも多い(全部あやしいわけではない)のがタイプ1でしょう。1のタイプにはしばしば,自分が習得したやり方がいちばんいい方法だと独断的に信じている傾向が見られます。そういう書き方をしている本も何かのヒントを与えてくれることはよくあるのですが,少なくともうのみにしない方が賢明だと思います。その人にとっていい方法が誰にとっても優れた方法であるという保証はありませんし,語学のプロであっても語学学習・言語習得法のプロではないので,さまざまな方法を客観的に比較検討するという視点では書かれていないから,いきおい主観的・独断的になってしまっているものがあります。
タイプ3に入る学者の専門領域は,「学習とはどういうことなのか」を研究する心理学(認知心理学),「語学を教える」という観点の教育学,「言語を身につけるとはどういうことなのか」を研究する言語学の中の一分野(「第二言語習得論」と呼びます)に分かれます。このタイプは前二者と比べて,より客観的だといえるでしょう。ただし,研究者であって語学の教育者ではないこともあり,「研究の結果はわかったけど,それを踏まえて,じゃあどうしたらいいの」という具体的アドバイスを求めても得られないことがあります。
さて,ここで取り上げている『外国語学習に成功する人,しない人 – 第二言語習得論への招待』という本は,副題にあるとおり第二言語習得論入門という色合いの本です。現在出版されている同系統の本の中ではいちばんポピュラーな本なのではないでしょうか。ひたすら理論を語るのではなく,「日本人はなぜ英語が苦手か」「どういう人が語学学習に成功し,どういう人が成功しないか」「外国語が身につくとはどういうことか」「どんな学習法に効果があるのか」という具体的な発問に対して,理論を紹介しながら考えていくという記述になっていますから,読みやすくまとまっています。
紹介されている理論的な概念には次のようなものがあります。
- 統合的動機づけ(文化に参加したいという目的の学習)と道具的動機付け(実利目的のための学習)
- 言語的転移(母語の干渉)
- 臨界期仮説(n才を過ぎるとネイティブ並みにはなれない)
- 言語学習適性(母語と第二言語に共通する適性)
- 日常言語能力(日常会話力)と認知学習言語能力(言語による学習能力)
- インプット仮説(聞くだけで習得可能)・モニター仮説(習得は無意識に起こり,意識的学習はチェック・モニターの役割のみ)と自動化モデル(意識的学習が自動化・無意識化すれば習得可能)
- オーディオリンガル教授法(パターンプラクティスによる反復練習)とコミュニカティブ・アプローチ(形式より意味・メッセージ伝達に重点)
- 中間言語分析(学習者が作り上げている母語と第二言語の中間の言語「体系」)
筆者も述べていますが,「第二言語習得論」は生れて四・五十年の若い学問であり,まだまだ研究成果が上がっていない分野がたくさんあります。言語学の中でもいちばん実用性の高い分野と言えるのに,仮説だらけなのは残念ですが今後に期待できる分野とも言えるでしょう。
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東京大学教養学部編 |出版社:培風館|2005年|1300円|高校生・一般向け|210p.|独断的おすすめ度 ★★☆☆
東京大学が高校生向けに行っている講座を書籍化したシリーズの第2弾。第1巻目のレビューはこっちです。
第1巻は理系ものが多かったのですが,今回は文系が多め。1部の最初の二つだけが理系ネタです。第1巻ほどの発見はなかったな,というのが正直な印象ですが,わたし自身文系の人間ですからそっち系の方が多少知識がある分,評価がきつくなりがちかもしれません。
このシリーズは,文系・理系ごった煮になっていて,文・理を分けた方がどの学部に進学しようか迷っている高校生にはよかったのに...という考え方も当然あるでしょう。逆に文・理を完全に分けてお互いのことは何も知らないという現在のあり方に一石を投じる意味では,これでいいのだという考え方もありえます。まっ,実際には出版社の都合でこうなったんだろうとは思いますが。
この文系・理系の壁・対立の問題で有名なのは,1950年代にイギリスの小説家兼物理学者である C. P. Snow という人が書いた(講演だったかも) “Two Cultures” という文章で,その頃からすでに文理のミゾは問題になっていました。学問は日に日に専門分化していますから,文理両方に精通することはますます難しくなっている一方,そういう人材がますます必要になっていることは確かでしょう。
第2巻のもくじは以下のとおりです。
1部 情報
● 携帯電話と情報の世界 川合慧
携帯電話がつながる仕組みをごく簡単にですが解説しています。糸電話は実際は伝わってない!という説にはちょっとびっくり。
● ソフトウェアの科学 玉井哲雄
うーん,ソフトのことを全く知らない人には入門にはなるかも。でも,最近は高校の授業でも,もっと高度なことをやっているのでは?
● 時計と時間の歴史 橋本毅彦
日本人は電車の発着時刻に見られるように時間に非常にうるさく,細かい...と思われていますが,実は明治時代以前はすごくルーズだったという話がおもしろい。
2部 歴史と未来
● 日米関係の現在と未来 油井大三郎
● 欧州統合を考える 柴宜弘
● 国境紛争から地域統合への道 —中ロ関係の50年— 石井明
この3本は政治・外交史のはなしです。中ロ(中ソを含む)関係史が少し面白い。「学ぶことは自己を解放することだ」というフレデリック・ダグラスのことばが印象的。
● 21世紀に読み直す夏目漱石 半藤一利
この人は東大の教師ではなく,漱石研究では有名な作家です。学校の宿直制度は戦前の天皇の御真影(天皇・皇后の写真)を守るためであったそうな。
● 馬の世界史 —世界史を再考する— 本村凌二
この人は趣味が競馬だそうです。なるほどね。馬の歴史の本でJRAから賞をもらっている!
● 21世紀の日本社会を考える 山脇直司
公共哲学についてです。「滅私奉公」(お国のために国民は犠牲に)でもなく,「滅公奉私」(自分の利益が全て)でもなく,「活私開公」をとなえていらっしゃるのですが,なにぶんこのスペースではちょっと本格的議論は無理ですね。注目すべき分野ですが。
● 日本史の謎 三谷博
少しでも日本史をかじっていればおもしろいかな。ここではおもに明治維新の謎について語っています。なぜ武士は自らの身分を葬った(廃藩置県・身分制廃止)のか,なぜ維新という変革が「復古」(王政復古)というシンボルのもとになされたのか。
できたら,自分の関心のないものを読んでみるといいと思います。得意な分野を伸ばすことはだいじですが,ひょっとすると得意になれるかもしれないものとの出会いがないままに終わってしまうのもさびしいと思いますよ。
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rickie
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著者:黒田龍之助 |出版社:角川書店(新書・角川oneテーマ21)|2008年|686円|一般向け(特に語学が好きなのに上達しない人)|独断的おすすめ度 ★★★☆
このブログでも何回か名前を出した,黒田龍之助さんの一般向け,特に語学で失敗した人向け(ってことでしょうね,このタイトルは)の語学学習法本です。
英語中心ではない,多言語のバックグラウンドを持った人が書いた学習本という点で,前に取り上げた渡辺照宏「外国語の学び方」,千野栄一「外国語学習法」と同じ方向性の本ですが,書き方はずっと軽いというか,ノリのいいというか,今風の文体です。
黒田さんは専門はロシア語(NHKのテレビ・ラジオのロシア語講座担当)ですが,スラブ語系言語全般に通じていて,学んだ経験は数十カ国語だそうです。
第1章 語学がいっぱい
第2章 語学を続けるために
第3章 語学の「常識」を疑う
第4章 理想の語学教師をめざして
第5章 語学のプロは修行する
第6章 たとえば英語学習をやめてみる
第4, 5章は一見,プロ向けのようにも見えますが,自分たち語学教師は何をやっているかをとおして,一般の学習者へのアドバイスを送っています。
こういう本は,その本に書かれているメソッドを忠実に実行するためのものというよりも,何らかのヒントやインスピレーションを得るためのものです。その意味では,この本からは数多くいろんなヒントが得られるだろうと思います。
● 語学には時間がかかる
少なくとも「あっという間」に上達することは絶対にありえない。
だから,そういうことを謳っている語学書とか会話学校は,はっきりいって詐欺である。
● メソッドなんて似たり寄ったり
語学のメソッドは多種多様だ。いろんなやり方がある。新しい方法もつぎつぎと生まれている。
でも,結局は似たり寄ったりなのだ。
(…)
少なくとも,語学メソッドに決定版はない。あったら,みんながその方法で上達するはずだし,そうすれば語学に悩む人が誰もいなくなるはず。
● 「語学適齢期節」(いわゆる「臨界仮説」=「子どものころから始めないと上達しない」)について
ところが,こういう語学適齢期節をむしろ積極的に信じたがる人もいる。なぜだろう。ひっっとすると,一部の人にとっては,そのほうが都合がいいのではないか。
語学は子供の頃から始めなければ上達しない。しかしわたしはすでに子どもではない。したがって,私は語学が上達しない。上達しなくても,わたしが悪いわけではない。
こういう結論を望んでいる人がいるように思えてならない。
ここにあげたのは,ふだんからわたしも思っていることで,無条件で賛成な部分です。というか,賛成できないところはあまりない。一般向けということもあって,意見が分かれそうなところには深入りしていませんし。その他,「教えない教師」の勧めとか,「英語学習が思うように進まない人はいったん英語を中断して,別の言語をやってみる」とか,ユニークな提案もあります。
黒田さんの本で一貫しているのは,多言語学習を奨励していること,しかも役に立つからというよりそれが楽しいから。上達しないかもしれないけど,学ぶことに意味がある,そういう主張です。多言語を知らないと見えてこないものがあるのは確かです。私自身もいくつかやってきましたが,身についていないにせよ,何か新しい地平が開けるような気がしました。ただし,わたしは語学に対して愛憎両方あるのですが,それはまた別のはなし。
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by
rickie
| Posted in いろんな本, 一般の語学学習 |
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