Cheerfulness might be a sign of ruin; while in gloom, you have some hope, your family name or yourself. (DAZAI Osamu)

「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。」(太宰治)

太宰治(1909-1948)が,書店ではブームです。今年は生誕百年で,また昨年で死後60年の著作権切れを迎えて著作権フリーになったせいか,太宰の本が本屋のあちこちに並んでいます。一般読者の中から自然に盛り上がったブームというよりも,出版界が盛り上げたいと思って仕掛けているブームのようです。

引用は,「右大臣実朝」(1943)の有名な一節。拙訳です。太宰の研究者は海外にもいるようですから,きっとどこかに定訳があるのだと思いますが,ネット上には見当たらず,それ以上探す手間を惜しんでしまいました。

いろいろ考えたのですが,結局直訳っぽくなってしまいました。 "you have some hope" のところが気に入りません。もっといいのないでしょうか?

このセリフは平家について述べたものですが,戦時中から戦後にかけての日本が二重写しになっているのはいうまでもないでしょう。

 

太宰といえば思い出すのは,高校三年生の夏,受験勉強などそっちのけで,当時筑摩書房で出ていた太宰全集を一冊ずつ買い集めては,一日一冊ずつ読んでいた暑い暑い夏休みのことです。太宰に満腹すると,ドストエフスキー。明け方までかかって読んでは,早朝の目黒から世田谷にかけての街を一,二時間歩き回ってから床につく,という生活でした。歩き回れば,体は暑さにまみれても,頭は少し冷えるわけです。あまりにも,ひと昔前のありきたりの青年というかんじです。「暗い」といえば「暗い」のでしょうが,そんな時に上の太宰の言葉を繰り返すわけです。

 

確かに明るさや燥ぎ(はしゃぎ)が病的に見える時があります。あまりにもせっぱつまってしまい,明るく振る舞うしかない,意味もなく浮かれることも,きっと誰もが経験することでしょう。燥いでいるその姿が哀れに見えることも。でも,暗さもきっと,そこに希望がほの見えることを保証はしないでしょう。救済しようのない暗さというものもきっとあるのだと思います。さいわい,そこまでの経験はないわけですが。

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