質問力 (1)

その昔,某有名予備校の某・超有名講師は質問というものを受け付けなかった。いや,いちおう生徒の質問は聞くのだけれど,それが授業で触れたことであれば,「それはこないだの授業で解説した。聞いていないのは君の責任だから,わたしは答えない。」とけんもほろろの対応だったそうだ。実際その現場を見たわけでも,その先生と面識があったわけでもない(その先生はもう鬼籍に入っている)ので,どこまでホントの話なのかはわかりません。授業で話したことでももっと深く聞きたいという場合もあるわけで,そういう時まで門前払いしたとは思えないから,場合によりけりだったのでしょう。

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こんな対応ががほんとうに可能だったとすれば,それはそれですごいことです。こういう対応をして,なおかつ生徒の信頼を失わないでいるためには,それ以前に生徒との人間的な関係をしっかり作っておくとか,すごい名声があるとか,「まああの先生ならああいう対応もアリか」と思わせるだけの下地がないとなかなか難しいでしょう。

最近ではそういう先生は絶滅しました。最近は,教師も親もメディアも何もかも大人たちは教えすぎる,もっと自分で考えさせなければいけない,ということが言われるようになってから久しいのですが,さまざまな圧力(少子化だから生徒を逃がせない,世間の風当たりが教師に厳しいなどなど)や,大人の側の自信のなさ(自信しかない大人は困りものなのに)のため,生徒にはやさしく,ていねいに,というのが今の教師・おとなの平均値になっています。

生徒に覚えていてほしいことなのですが,おそらく先ほど述べた超有名な先生も,気むずかしい陰険教師も,わたしも含めて,すべての教師は質問されるのは大好きなはずです。そういう種族なんです。授業が終わって,いっぱい質問されて,自分なりにいい回答ができた日にゃあ,ウキウキしながら帰宅できる,逆になーんの質問もなかった日は心にポッカリ穴をあけたまま電車に乗らなければならない,そういう生き物なんです,教師ってのは。

わたしの見る限りでは,これに例外はありません。先ほどの先生のように,逆の意味での教育的配慮から質問を拒否するないし質問に答えではなく,答えのヒントだけしかあげないという場合はありえます。それから,たまーに,質問に怒り出す先生もいます。横から見ているとわかりますが,そういう教師が質問に怒るのは,その質問に答えられなくて(よくあることです),「うーん,わかんないな。調べてみるよ」と言えばいいのに,なぜかそう返事することができない(プライド?)場合でしょう。

そこで,質問する生徒へのアドバイスです。

「質問」というのは,知識が欠けている生徒が,知識と経験豊富な先生に教えていただく,知識のおこぼれをちょうだいする,ということではありません。「質問」というのはコミュニケーションの一種であり,コミュニケーションというのは,見かけはどうあれ,双方が対等でなければ成り立ちません。一見,教える⇔教えられるという力関係があるように見えても(そしてそれにこだわる大人もいますが),心の中で「なんてバカな答え方なんだ」「こいつ質問の意味わかってないぜ」と考える自由があなたにはあります。少なくとも内面的には,対等なプレーヤー同士が行う言葉による質問ゲームです。

対等なのですから,心の中では「上から目線」で質問していいわけです。ことばで上から物を言えば怒られるでしょうが,「この人,この質問の仕方だと答えにくそうだから,ちょっと別の言い方をしてあげよう」とか「あまり追い詰めないで逃げ道を作ってあげよう」とか,あなたの方がオトナの態度で臨んだ方がうまくいくでしょう。言葉づかいは下手に出た方が無難ですが,言葉とは裏腹に,頼りない先生をちゃんと質問に答えられる先生にしてあげよう,くらいの気持ちを持ってかまいません。だいじなのは,先生の教えていただくというより,先生に一緒に考えてもらうことであり,そのためにはどういうふうに話を持っていけばいいのかを考えることです。質問は,一種の交渉みたいなものです。

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