単語を覚えるとはどういうことか?(1)

わたしの世代の人間が大学受験の時に使った単語集は「試験に出る英単語」(森一郎著 青春出版社)でした。まわりの受験生には「出る単」と呼ばれていましたが,大学に入ってから出会った関西出身者は「しけ単」と呼んでいて,ちょっとびっくりでした。マクドナルドが東京で「マック」,大阪で「マクド」と呼ばれているのと同じ,文化の地域差です。

われわれよりも前の世代が使っていた「赤尾の豆単」という愛称の「英語基本単語熟語集」(赤尾好夫著 旺文社)が,単語を網羅的にかつアルファベット順に並べていたのに対し,「出る単」はやさしい単語は一切省いて,しかも試験によく出る順に並べたことで,「豆単」を時代遅れのものにし,受験生のバイブルになりました。「試験によく出る順」といっても,パソコンなどが存在しない時代ですから,著者である森一郎氏の独自調査(とおそらくは,経験的なカン)によるものでしょう。確か,最初は intellect (知性)で,その後には hypocrisy (偽善)やら patriot (愛国者)だのやたらと難しい単語で始まっている(うろ覚え)のがかえって新鮮で受けたわけです。

その後,単語集は「ターゲット1900」(旺文社)やら「Duo」やら「速読英単語」やらが現れ,かつてのように「受験英語」の世界で他を圧倒して君臨する単語集はないものの,依然として単語集は売れ続け,使われ続けています。そして単語集を一冊完璧に仕上げれば英語の勉強にはかなり展望が開けるとされていて,実際,英語学習に注ぐエネルギーと時間のうちのかなりの部分が単語の暗記に費やされているという事実は今も昔もほとんど変わっていません。

単語を覚えることの重要性は,受験目的であれ,それ以外の目的であれ否定しようもありませんし,ある程度のレベルまでは単語集を使って無理やり覚えることも必要だとわたしは思っています。こういう意見は別に特殊ではなく,たとえば千野栄一氏(元東京外語大教授)は「外国語上達法」(岩波新書)の中で,どんな言語を学ぶのであれ,「まず何はともあれ,やみくもに千の単語を覚えることが必要」だと言っています。しかも,

この千語を覚えるのに,辞書を引いて覚えるのはむだである。辞書を使うのはもっと後のことで,この段階ではすでに訳のついている単語を覚えればいい。

と,基礎レベルでは覚える単語には辞書不要とまで言っています。外国語学習を軌道に乗せるためには,単語をどうしても無理やり,強引に,「やみくもに」,暴力的に(?)覚えるべき段階(始原的蓄積段階)が必要だということです。わたしも千野氏ほどではありませんが,何カ国語かにチャレンジしましたが,この点では同意見です。

そもそも単語数の数え方は微妙な問題ですから,1000語というのは一つの目安にすぎません。現行の「学習指導要領」では中学で履修すべき単語数は900語程度となっています(近々の改定では1200語)。したがって千野氏の「やみくもに覚える」のは,中学レベルの単語ということになります。

といって,その後はすべて辞書を引き引き覚えるというわけにもいかないでしょう。徐々に「訳のついている単語」(単語集)から自立して,辞書を使って文脈の中で覚えるように切り替えていくということになると思います。単語集は必要,でも単語集は辞書代りではない,ということを銘記すべきです。

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