英作文の憂鬱

大学入試には「和文英訳」という出題がある。「次の日本語を英語に直しなさい」というタイプの出題だ。近年,和文英訳の出題は減る傾向にある。出題されても比較的やさしいものが多くなってきている。東京大学も以前に比べればウソのように簡単になっている。とはいえ,国公立大の出題の中にはかなり苦労するものもあるし,京都大学のように従来と全く変わらない,くそ難しい和文英訳を出題し続ける大学もある。

こういう問題では,日本語の細かなところまで,英語に盛り込むことが暗黙の前提になっている。通常,入試の採点は加点式ではなく減点方式,つまり生徒のいい面を見つけて点をあげるのではなく,だめなところを見つけてマイナスする方式だから,理想的な答案を書いた生徒に満点をあげるとすると,何かが欠けていたり,ミスっていたりすると減点になるわけである。

和文英訳問題は確かに,生徒の能力が如実に表れてしまう。生徒の英文を見れば,見事な英語になっていることもあり(たまに,ですけどね),そういうのを見るとこちらもうれしくなるし,その時「この子は受かるだろうな」と思った予想はたいていはずれない。

しかし,そもそも他人が書いた日本語を英語に直すという能力を問うことが必要だろうか?英語の文章を書くのであれば,はじめから英語で書けばいい話で,一度日本語で書いてから,そのニュアンスまで含めて余すところなく英語に直すという作業は,控え目に言っても無駄が多いと言わざるを得ない。

そういうわけで,和文英訳の出題が減る一方で増えているのが「自由英作文」問題である。国公立では出題されるのが当たり前になりつつある。私大でも,早稲田(法・国際教養),慶応(経済,医),青山(文,国際政経)など増加中である。

「自由英作文」とは,その名に反してちっとも自由ではなく,ある与えられたテーマについて英語で文章を作成せよ,というものだ。「高校時代に読んだ本で一番感銘を受けた本について英語100語程度で書け」「携帯電話のマナーについて」などから,一コマまんがを載せて,それを説明せよとか,中程度の長さの日本文や英文を英語で要約せよ,とかいった出題である。英文を書く能力を問うというのであれば,こちらの方が理想に近い。人が書いた日本語を英語に直すのではなく,構成から個々の文まですべて自分で組み立てなければならないのだから。

しかし,出来上がった答案を見ると,はっきりいってあんまりおもしろくない。みんな内容は似たり寄ったりだし,ひとつひとつの英文もなんだか中学英語レベルの文の羅列になってしまいがちだ。もちろん試験場で限られた時間内に,そんな見事なエッセイや論文を書くなんてことは不可能なのだが,せめて練習の段階ではもう少し工夫なり苦労なりをしてほしいのだが。

あまり英語を書く力がないうちに「自由英作文」に取り組んでも力は伸びないと思う。むしろ,足かせが効いている和文英訳問題の方が個々の英文を磨き上げて作っていくという点では練習になるのかもしれない。短めの日本文を正確に訳す,この力がついてから「自由英作文」に取り組んだ方が勉強の効率としてはずっといい。京都大学の問題のような,いかにも日本語らしい表現を含んだ文を訳すレベルまでは必要ない(これも何度か取り組むといろんな意味で参考にはなる)。

入試でも「和文英訳」を出題するなら,短くて細かなニュアンスをできるだけ含まない文を20題くらいまとめて出題してみてもいいのではないか。中途半端な自由英作文やプロの翻訳者にしか訳せないような問題を出してもそれほど意味はない。本格的難問を出題するのであれば,いっそ辞書使用可,時間無制限にすればいいと思うのだが。

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