You don’t understand anything until you learn it more than one way. (Marvin Minsky)

「どんなものであれ,複数の方法で学んでみないと理解できないものだ」

マービン・ミンスキーは人工知能研究で有名な認知科学者。

  • not … until ~ 構文 「~してはじめて・・・する」
  • more than one + 単数名詞 「複数の~」 英語で X is more than three. といえば,「 x ≧ 3 」ではなく「 x > 3 」を意味する。

何かを学ぼうとするとき,どこから手をつけたらいいのか。

どんな分野でも,「これが決定版。これしかない。これだけやっていれば他のものは無視していい。」と世間で言われている方法なり,テキストなり,流儀のようなものが存在しています。でもどうも僕はこれができないのですね。浮気性なのでしょうか。

最近ではすっかりご無沙汰なのですが,昔テニスをやったことがあります。やり始めた頃に,いくつかの「流派」のようなものに出会いました。ラケット面を立ててほぼ水平に振りぬく「フラット」,こころもちかぶせ気味に上へ振りぬく「トップスピン」,逆にラケットをやや下の方へ滑らせていくイメージの「スライス」。フラットはスピードの速い球を打てるし,トップスピンは安全性重視で,スライスは相手の球に押し込まれても対応できるなど,それぞれ長所があります。もちろん上級者であれば全部学べばいいわけですが,初心者はどこから入ったらいいのか。このへんの教え方は時代によっても流行りすたりがあるようなのですが,当時は(だいぶ前)トップスピンが初心者にも普及しだした頃だったと思います。でもぼくよりも前に始めていたうまい奴は美しくスライスを打っていて,ちょっとあこがれました。

結局トップスピン中心で学び始めたのは,流行りだったからというよりも,ある本の中で「テニスとは,ネットを越さねばならないと同時にラインを越えてはならない,つまりボールを打ち上げなければならないと同時にボールを落とさなければならない,という矛盾した要求を満たさねばならないスポーツだ」とかなんとかいうくだりを読んで,えらく納得しちゃったからなのですね。トップスピンはボールを打ち上げて振りぬく(つまりネットを越えやすい)のですが,同時にボールの進行方向に回転がかかり,この回転だとボールが落ちやすくなるのです。

結果的に流行に沿ったやり方に落ち着いたのですが,それは理屈の上でそのやり方に納得したからで,納得するためには他のやり方も検討してみないと,あれこれ浮気してみないとなかなか納得できないようです。

ひたすら決定版的な方法で学ぶこともとても大切なことだと思うのですが,自分が今学んでいる方法が,どういう位置におかれているのか,つまりどういう経緯でその方法が優れていると言われているのかを知っておくことも大切ではないかと思います。決定版にはそれが決定版だと言われるだけの根拠があるのでしょうが,たいていの分野で,反主流派的な方法論が存在していて,じつはそちらの方が将来の主流派になるかもしれません。主流派はただ惰性で主流派になりえている場合もあるかもしれません。

浮気しないと見えないものもあれば,貞節を保たないと得られないものもあるということになってしまいますが,そうなるとこれからその道(どの道じゃ?)に進もうとする人は首をかしげてしまうかもしれませんね。

いつもながら歯切れの悪い物言いになりましたが,歯切れのいい語り口はあまり信じていないもので。

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