A genius is the one who goes only one step further than we do. Contemporaries are always ignorant that this one step is a thousand leagues long. Later generations are also blind to the fact that this is just one step. (Akutagawa, Ryunosuke)

「天才とは僅かに我我と一歩を隔てたもののことである。同時代は常にこの一歩の千里であることを理解しない。後代は又この一歩であることに盲目である。」(芥川龍之介『侏儒の言葉』)

また拙訳です。「千里」の「里」は league にしてみました。日本の「里」は約3.9km,league は古い距離の単位で約4.8km なのでまあ近い方でしょう。「千里」はものすごく遠いことを示しているだけですから, a thousand miles でも a long distance away でもいいのですが。

『侏儒の言葉』は芥川龍之介晩年のアフォリズム集。このあとには,「同時代はその為に天才を殺した。後代は又その為に天才の前に香を焚(た)いてゐる。」とつづきます。またその前の項には,「天才とは僅かに我我と一歩を隔てたもののことである。只この一歩を理解する為には百里の半ばを九十九里とする超数学を知らなければならぬ。」という文もあります。

「天才」は私たちと一歩しか離れていないと聞けば,少し安堵もし,同時にその一歩が越えられないことに失望もします。「天才」とは千里の行程があると言われれば,残念にも思うし,同時に「そりゃそうだよね」と胸を撫で下ろしたくもなります。

たいていの人が,「自分も天才では?」と思った経験が一度くらいはあるでしょうし,そうではない現実をつきつけられて失望を感じたことがあるでしょう。「べつに天才でなくてもいいや」とかえって気楽になる人もいます。「今はまだ違うけど,いつかは...」とつぶやく人もいるでしょう。これが向上心の証しなのか,それとも未来に逃げているだけなのか,それを判断してくれるのは時間だけしかありません。

大人の側からすれば,「君には才能はない」と断言して若者から可能性を奪う冷酷さと,「君には無限の才能がある」と語る無責任さのはざまでためらい,その躊躇が「まあ,がんばってよ」といういっそう冷酷に無責任な言葉となって口から出てしまうわけです。

天才を作るものが,DNA なのか,環境なのか,それとも運命という名の偶然なのかはわかりません。言えそうなのは,「大人には天才はいない」ということかもしれません。大人とは,天才と呼ぶにはあまりにも多くの雑駁・汚濁・不様で瑣末なものをかかえこんだ人のことをいうのですから。

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