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大学入試と英語学習のバックアップ・サイト

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和英辞典の憂鬱

2月
2008
29
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「和英辞典はなかなかいいものがなくてね」と,私の学生時代の頃に教師たちはよく言っていた。「そのうち,いいのができるかもしれない」という教師もいた。それからずいぶんの時間が過ぎ,しかし「いいの」はなかなか見当たらない。「英和辞典」も「英英辞典」もかなりの進歩をとげたといっていいのだが,「和英辞典」をめぐる事情はあまり変わらない。工夫はされている。語彙数も,例文も,説明も充実した。しかし根本的なところで変化はない。魅力もない。日本語に対する英単語が列挙され,ちょこっと例文や説明が載っている。それだけだ。もはや期待は持てないのかもしれない。「和英辞典」というものは,その本質上,今のようなものでしかないのかもしれない。

そもそも「和英辞典」は必要なのか,という問いに突き当らざるを得ない。だが,その答えはイエスとしか言えない。必要なのだが,そんなには必要じゃない。というか,必要なのは一瞬で,和英辞典だけ引いて解決することはほとんどないからである。

たとえば,ある目的で英語の文章を書かなければいけないとする。手紙でも,レポートでも,論文でも,エッセイでもいいのだが,あらかじめ翻訳用の日本語の原文はないものとする。当然,自分で全体の組み立てから,ここの英文までを作っていかなければならない。そしてある語句が思い浮かばなかったらどうするか?まあ,和英を引くでしょうね。日本語と英語が一意で決まる語句であれば,これで解決するかもしれない。「在庫って何ていうんだっけ?」 –> inventory 「東京都議会は?」 –> the Tokyo Metropolitan Assembly 。しかしそういうもの以外は,まず和英辞典で得られた情報をきっかけにして,そこで得られた語句を英和や英英で引きなおし,何かしっくりこなければ thesaurus でいい言葉を探す。もちろん「英和活用大辞典」(研究社)にもお世話になる。つまり,和英はきっかけであり,突破口であり,第一走者ではあるが,それ以上のものではない。

というわけで,「きっかけ」にすぎない以上,そこにすべてを求めるわけにもいかない。和英が進歩しない理由はそのへんにあるのか。

いや,待てよ。逆に和英+英和+英英+シソーラス+活用・連語情報辞典 がワンセットになった辞書があればいいのか。「ジーニアス和英」はすでに和英+英和的な構成になっているし,書籍版では不可能だろうが(1巻3万くらいはするでしょうね),電子辞書なら不可能ではないかも。研究社でも大修館でも小学館でもいいから,作ってみませんか?私は買いますよ。ほかの人は知りませんが。

 

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by rickie | Posted in 英語の周辺, 辞書のはなし | No Comments »

英作文の憂鬱

2月
2008
28
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大学入試には「和文英訳」という出題がある。「次の日本語を英語に直しなさい」というタイプの出題だ。近年,和文英訳の出題は減る傾向にある。出題されても比較的やさしいものが多くなってきている。東京大学も以前に比べればウソのように簡単になっている。とはいえ,国公立大の出題の中にはかなり苦労するものもあるし,京都大学のように従来と全く変わらない,くそ難しい和文英訳を出題し続ける大学もある。

こういう問題では,日本語の細かなところまで,英語に盛り込むことが暗黙の前提になっている。通常,入試の採点は加点式ではなく減点方式,つまり生徒のいい面を見つけて点をあげるのではなく,だめなところを見つけてマイナスする方式だから,理想的な答案を書いた生徒に満点をあげるとすると,何かが欠けていたり,ミスっていたりすると減点になるわけである。

和文英訳問題は確かに,生徒の能力が如実に表れてしまう。生徒の英文を見れば,見事な英語になっていることもあり(たまに,ですけどね),そういうのを見るとこちらもうれしくなるし,その時「この子は受かるだろうな」と思った予想はたいていはずれない。

しかし,そもそも他人が書いた日本語を英語に直すという能力を問うことが必要だろうか?英語の文章を書くのであれば,はじめから英語で書けばいい話で,一度日本語で書いてから,そのニュアンスまで含めて余すところなく英語に直すという作業は,控え目に言っても無駄が多いと言わざるを得ない。

そういうわけで,和文英訳の出題が減る一方で増えているのが「自由英作文」問題である。国公立では出題されるのが当たり前になりつつある。私大でも,早稲田(法・国際教養),慶応(経済,医),青山(文,国際政経)など増加中である。

「自由英作文」とは,その名に反してちっとも自由ではなく,ある与えられたテーマについて英語で文章を作成せよ,というものだ。「高校時代に読んだ本で一番感銘を受けた本について英語100語程度で書け」「携帯電話のマナーについて」などから,一コマまんがを載せて,それを説明せよとか,中程度の長さの日本文や英文を英語で要約せよ,とかいった出題である。英文を書く能力を問うというのであれば,こちらの方が理想に近い。人が書いた日本語を英語に直すのではなく,構成から個々の文まですべて自分で組み立てなければならないのだから。

しかし,出来上がった答案を見ると,はっきりいってあんまりおもしろくない。みんな内容は似たり寄ったりだし,ひとつひとつの英文もなんだか中学英語レベルの文の羅列になってしまいがちだ。もちろん試験場で限られた時間内に,そんな見事なエッセイや論文を書くなんてことは不可能なのだが,せめて練習の段階ではもう少し工夫なり苦労なりをしてほしいのだが。

あまり英語を書く力がないうちに「自由英作文」に取り組んでも力は伸びないと思う。むしろ,足かせが効いている和文英訳問題の方が個々の英文を磨き上げて作っていくという点では練習になるのかもしれない。短めの日本文を正確に訳す,この力がついてから「自由英作文」に取り組んだ方が勉強の効率としてはずっといい。京都大学の問題のような,いかにも日本語らしい表現を含んだ文を訳すレベルまでは必要ない(これも何度か取り組むといろんな意味で参考にはなる)。

入試でも「和文英訳」を出題するなら,短くて細かなニュアンスをできるだけ含まない文を20題くらいまとめて出題してみてもいいのではないか。中途半端な自由英作文やプロの翻訳者にしか訳せないような問題を出してもそれほど意味はない。本格的難問を出題するのであれば,いっそ辞書使用可,時間無制限にすればいいと思うのだが。

 

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by rickie | Posted in その他(高校生向け), 英語の世界(一般向け), 高校生向け | No Comments »

*You cannot be put in the corner.

2月
2008
27
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たとえば,飲み屋の一画での英語の教師(といってもオヤジ限定ですが)の身内どうしの会話は,はたから聞くとちょっと奇妙に聞こえるかもしれません。やたらに英語が多いのです。別に英語で話すわけではありません。英単語交じりになるだけです。

「このあいだ,××っていう映画観たんだけど,main character の action つーか performance が,うーん何て言うか far-fetched って感じなんだよね。」

まあ知らない人が聞いたら,業界人か何かに見えるかもしれませんが,風貌はかけ離れています。確かに,ことばを探すときに,日本語より先に英語が思い浮かぶなんてことがないわけではありません。

ある同僚のお気に入りのギャグは,You cannot be put in the corner. です。意味は「君も隅に置けないね」。ほとんどルー大柴の「藪から stick 」のレベルですが,ルーと同様しつこく繰り返します。なんとかなりませんかね。

 

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by rickie | Posted in 雑記 | No Comments »

『日本の英語教育』

2月
2008
26
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著者:山田雄一郎 |出版社:岩波書店(岩波新書)|2005年|740円|英語教師・一般向け|独断的おすすめ度 ★★★☆

この本は2002年に文部科学省が発表した「『英語が使える日本人』育成のための戦略構想」 を批判的に検討することを通じて,日本の教育と教育政策の過去・現在・未来を考えることをねらいとしている。筆者は英語教育をめぐる議論の歴史をたどりながら,この「戦略構想」の考え方は実は少しも新しいものではなく,明治以来繰り返し俎上に乗せられてきたテーマの現代版であることを明らかにした上で,そこには一国の「教育政策」として本来あるべき理念や理念を具体化する「透明な」判断基準と手順が見られないと批判する。

たとえば戦略構想は,中卒段階では「平易な日常会話」ができ,英検3級程度,高卒段階では「通常の会話」とそれと同程度の読む・聞く・書く能力,英検準2級~2級程度の能力をつけることを目指すとしている。だが,「平易な日常会話」ができるとはどういうことなのか。

われわれは,「日常的」という言葉につい惑わされるが,日常会話とは,「何でもあり」の会話である。「せっかく土産にと買った茶碗なのに,使う前に割れちゃった」「そういえば長く会ってないね,近いうちにどこかで昼御飯でもご一緒しましょう」「今度アメリカに行くんだけど,税関検査が厳しくなってるんだってね」—「日常の話題に関する通常の会話」とは,このようなもののことである。

「日常会話」が実はいちばんむずかしい,というのはnon-nativeで,しかも英語圏に長く生活したという経験を持たないの学習者ならあたりまえに知っていることだと思う。ニュースや講演のたぐいを聞き取ることには苦労しなくても,日常会話はさっぱり聞き取れないこともある。「平易な」会話用のフレーズというのは存在するが,「平易な」会話が「平易な」フレーズだけで推移するというシチュエーションは考えにくい。文科省の「平易な会話」ということばが,「いまの時代,英語くらいしゃべれなくっちゃ」という英会話産業の宣伝(脅迫)文句の受け売りに響いてしまう。

筆者はまた,「マイネイムイズ~」という会話と「飼ってた金魚が死んでね,いま新しいのを買いに行くところだ」という2つの会話文を取り上げて次のように言う。

「飼ってた金魚~」は,文法を理解していなければ組み立てることができない。一方,「マイネイムイズ~」は,とりあえずそれを使うということであれば,文法の理解を必要としない。「マイネイムイズ~」は丸暗記の対象にすることができるが,「飼ってた金魚~」の方は,その範囲を超えている。(…) この違いは,そのまま学習方法の違いにつながるという意味で,英語教育(あるいは英語学習)の方法的分岐点でもある。今,あなたがこの分岐点に立っているとして,どちらの道を選びたいと思うだろうか。日本の英語教育の方向舵は,今,どちらに切られようとしているのだろうか。

「英会話」重視の方針が持つ矛盾を的確に示していると思う。むろん筆者は(そして私も)英語で話す能力を育てる必要を軽視しているわけではない。ただ,会話の例文を暗記するだけで英語力が育つという方向性に疑問を投げかけているだけである。

筆者はここから,小学校への英語の導入への疑問,受験英語のゆがみ,あるべき一つの方向性としての EU の「共通基準」(Common European Framework of Reference for Languages (2001) )などを取り上げている。受験英語については,別に論じたいので,ひとまずここでは取り上げないことにする。

「戦略構想」への疑義としてはまとまった理解が得られる貴重な書物で,英語教師や英語教育に関心のある方(とくに親御さん)には有益だと思う。

 

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by rickie | Posted in いろんな本, 英語の周辺 | No Comments »

All happy families resemble one another, each unhappy family is unhappy in its own way. (Leo Tolstoy)

2月
2008
25
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「幸せな家族はみな似ているが,不幸せな家族はそれぞれ独特に不幸せである」

なんか有名な文句が続きますが,この「アンナ・カレーニナ」の冒頭の文句はかなり人口に膾炙しているセリフです。

内容的には説明の必要はありませんね。語学上も問題ないと思います。 in one’s own way 「~独特のやり方で,~なりに」

ところで私はむかしなぜかこのトルストイの名文句を逆に覚えていました。「幸せな家族はそれぞれ独特で,不幸せな家族は似ている」という具合にです。それだけでなくさらに,「そりゃ逆だよな。だからトルストイはドストエフスキーほどの深みがないんだよ。」と濡れ衣を着せた批判をしていました。ばかですね。

でもなぜ幸せは紋切り型でワンパーターン,不幸は固有で独特なのでしょうか?逆はあり得ないのでしょうか?

そう考えてみて,ふと思いつきましたが(単なる思いつきですが),子供のころ外国映画を見て,出てくる外国人俳優がみんなおんなじに見えませんでしたか?日本の映画やドラマを見れば個々のキャラクターが識別できるのに,外国人だと「あれっ,この人さっきの人とは違うの?」とわけがわからなくなることがありました。逆に,たとえばアメリカ人が日本映画をはじめて見ると登場人物を識別するのに苦労するそうです。

人は自分の世界とは異なる世界に暮らす者たちの個別性を識別するのが苦手である。そういう結論を引き出すとすると,トルストイの言葉への先ほどの疑問も合点がいきます。わたしたちはどこかで自分の家族は不幸だと思っていて,幸福な家族など別世界の人々だと感じている。だから不幸の個別性は識別できるが,幸福に個別性を認めたがらない,ということです。

えっ? 納得いきませんか?それはたぶんあなたが幸福の世界の住人だからでしょう。

 

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by rickie | Posted in 引用 | No Comments »

Book Lust

2月
2008
24
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New York Times に, Timothy Egan という人が, "Book Lust"link-arrow (「読書欲」)というエッセイを書いています。

アメリカの Amazon が最近出した Kindle (携帯用の電子ブックプレーヤー)の感想を聞かれて,Apple 社の Steve Jobs が「その製品の出来がいいか悪いかはどうでもいい。アメリカ人の40%は昨年読んだ本が1冊以下なのだから。」と答えたらしいのですが,記事の筆者 Egan はこの発言に噛みついています。40%うんぬん,というデータの信憑性も否定していますが,結論をはしょって言えば,「読書は死なず」ということです。

3日前くらいの記事ですが,コメントが360くらいついていて,NYTの記事のコメント数としては多い方かもしれません(quality paper だから,汚いコメントはブロックしているはずなので実数はもっと多い?)。コメントはおおむねこの記者に賛成のようです。Jobs ファンも多くて,「Jobs がこんなこと言うなんて」という意見もあれば,「Jobsを支持するが,あなたの意見が現実になることを希望する」なんてのもあります。

最近,日本の大学生の読書についても似たような傾向のデータが発表されました。問題は,知性・教養のあるなしと読書が関係を失いつつあることのようです。わたしのまわりの教師仲間にだって,読書と縁がなさそうな人がけっこういます。Eganも指摘しているとうり,そして日本のデータもそうでしたが,「本を読まない人は増えている。ただし,本を読む人は読んでいる」という傾向が見て取れます。「読書格差」とでもいうべきでしょうか。読書は死に絶えはしないでしょうが,釣りやらゴルフやらと同等の,趣味の一つになっていくのかもしれません。

さて,英語のはなし。

The Mac, Pixar, the iPhone, the iPod, iTunes. This stuff is cool. Lighter than air. iGetit. But it’s just product, dude.

Reading is something else, an engagement of the imagination with life experience. It’s fad-resistant, precisely because human beings are hard-wired for story, and intrinsically curious. Reading is not about product.

まず,前のパラグラフの最後にある,it’s just product, dude. という表現ですが,この It’s ~ , dude. という形はちょくちょく見かけます。グーグルでワイルドカード検索するとぞろぞろ出てきます。dude は「オイお前」というちょっと見下した呼びかけですが,何て訳したらいいんでしょうね。"It’s Not My Fault You Left Hair At Home, Dude"は曲のタイトル。 "It’s the Crude, Dude"は本のタイトル。 Michael Mooreの "Dude, Where’s My Country?" という本は「おい、ブッシュ、世界を返せ!」ですから,「おい」と訳しているわけですね。

もうひとつ,最後の Reading is not about product. 「読書っていうのは製品とは違うんだ」ということでしょうが,about が面白くないですか?これも気になって Google で検索すると,"Bush’s war is not about democracy." とか "Mobile Linux is not about free software." とか "Religion Is Not about God"(本の題名)のようなのが出てきました。 A is not about B. で「AはBと同意ではない。AのポイントはBということではない」のような感じでしょうか。

product が不可算で使われているので,これも気になりましたが,「ジーニアス大英和」は可算のみ,G4, 「ウィズダム」,「ルミナス」はC , U 両方挙げていました。なかでも,「ルミナス」は普通の用法では[C], 商業用語として [U] としていました。「ルミナス」あなどるべからず。

 

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by rickie | Posted in 英語の落としもの | No Comments »

The Da Vinci Code (Dan Brown) — paperback review

2月
2008
23
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語彙レベル★★☆☆|ストーリー★★★☆|知的興奮度★★★☆|前提知識★★☆☆|対象レベル 英検準1級以上|ジャンル 推理小説|496p.|英語

ご存知,2003年に発表以来世界的なブームとなった「ダビンチ・コード」です。

主人公はハーバード大学の宗教象徴学(religious symbology)の教授である Robert Langdon が,パリでルーブル美術館館長 Jacques Saunière の殺人事件現場に連れてこられるところから始まります。Langdon が探偵役となって,この殺人事件を解明していくというストーリーですが,メインはむしろ謎解きの多くが,ダビンチをはじめ美術の寓意・象徴を読み解き,暗号を解読し,宗教史の謎を解きほどいていくというプロセスにあります。美術史・宗教史・暗号学などの知識が事件の謎を解くカギになるわけです。しかし,前回の 「薔薇の名前」ほどの前提知識が必要になるわけではありません。いちいち説明してくれています。解説本もでていますが,なくても大丈夫でしょう。でも,ダビンチの画集くらいあると便利ですが。

英語的には,そうした美術史・宗教史の用語が多少ネックになるかもしれません。それ以外は語彙レベルはそれほど高くありません。私の勤務する予備校に来ていた都内の某進学校に通う生徒が,学校の英語の補習として "The Da Vinci Code" を読む授業を取ったそうです。数ヶ月後,「そういえば,あの授業どう?」と聞いたら,「むずかしくて,やめちゃった。」という返事でした。その子は結局早稲田に合格しました。つまり,この小説は,進学校の意欲的な先生が高3生に読ませてよいと判断するほどのやさしさであり,早稲田に合格する生徒でも途中で投げ出すくらいの難しさだ,ということになります。受験前だからしかたないですけど。

"It’s quite possible," Langdon said. "Da Vinci was a prankster, and computerized analysis of the Mona Lisa and Da Vinci’s self-portraits confirm some startling points of congruency in their faces. Whatever Da Vinci was up to," Langdon said, "his Mona Lisa is neither male nor female. It carries a subtle message of androgyny. It is a fusing of both."

まあ,本物の(?)推理小説ファンにはやや物足りないかもしれませんね。私は途中で,「こいつが××だろうな」という推測がつきましたが,皆さんはどうでしょう?

 

(この paperback review のカテゴリーは,英語で読む本を探している方に向けた読書案内です。私が読んだ本の中から選んでコメントしています。)

 

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by rickie | Posted in 英語を読む | No Comments »

ゆうたら,…やで。

2月
2008
22
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最近,関西芸人がよく,「ゆうたら」 (「ゆ」にアクセント)という言葉を使うのを耳にします。昔からあった表現なのでしょうか?私が聞いたのは,鶴瓶,宮迫,今田ですが,芸人以外も使うんでしょうか?

おそらく,対応する標準語は「いってみれば,いうなれば,いわば」ということなのでしょう。「いってみれば」という標準語もそうですが,「ゆうたら」にもほとんど意味がなさそうです。単に,後続の表現に聞き手の注意をちょっとだけ喚起するための,汎用的枕詞みたいなものと理解できそうです。まあ,便利は便利ですね。「いわば」だと硬すぎるし,「いってみれば」は長すぎ。

英語では,というか受験英語的には as it were 「いわば」 があります。OALD では,

used when a speaker is giving his or her own impression of a situation or expressing sth in a particular way

「ある状況についての自分自身の印象を述べたり,何かを特有の表現をしたりするときに使われる」

とあります。比喩表現を使う時によく見られる印象があります。「ゆうたら」ほど軽くはないでしょう。

 

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by rickie | Posted in 日本語 | No Comments »

電子辞書についての詮無き考察

2月
2008
21
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電子辞書はダメだ,という議論は電子辞書がこれほど一般的になった今でも時々耳にする。しかし,別に調査したわけではないから正確でないかもしれないが,高校生・大学受験生対象の英語教師は,そういう発言をあまりしないような気がする。私も「電子辞書は使うな」とは言ったことがない。ペーパー辞書には,少なくとも現在の電子辞書では持ちえない特性があるのは確かだが,それが電子辞書にしかない優位性を凌駕しうるものなのか,あまり自信がないからである。

辞書つまり,ペーパー辞書は「辞書」である。辞書は単なる書物ではなく,「辞書」という特殊な分類にしか属していない。線条性という拘束の弛緩。いったん目指す語にたどりついても,そこから線としてではなく,面として読まれる。視線は行きつ戻りつし,立ち止まり,目指す語意に出会ったとしても,さらに彷徨をつづける。競走ではなく,散策であり,私たちはそこに情報や知識を求めるのではなく,情報や知識と遭遇するだけである。予期せぬ遭遇に驚き,戸惑い,たじろぎ,悦ぶのである。

電子辞書は,辞書というよりもデータベースである。私たちは,クエリを発して,データを引き出す。データは,「見出し語」—>「語意」—>「用例」・「解説」と,階層構造的に整理・蓄積されていて,そこからデータが検索される。

電子辞書にはデータベースにすぎないという欠点がある。しかし,辞書が「辞書」であることを放棄する代わりに得たものは,魅力にあふれている。いくつもの辞書を格納できる。それらを横断的に検索でき,あちらの辞書からこちらの辞書へとジャンプができる。例文からの検索も可能。語尾からの逆引き。成句の一部から成句そのものを検索できる。辞書の追加も可能(私は独仏を追加,中国語も検討中)。そして何よりも,軽量。

毎日ぶ厚い辞書を持ち歩く宿命の語学教師ならば,この軽量という魅力に抗することはむずかしい。大辞典を机上に並べて,喫茶店でペーパーバックを読む,なんて想像が心揺さぶったのはそんな昔のことではない。だからこそ,生徒が電子辞書を使うのを止めることばを持たないのである。

ペーパー辞書は,初心者にこそ必要なものであり,辞書から知識を得るということがどういうことなのかを知った人が電子辞書に移行すべきである,そういう理屈も百も承知。しかし,「紙の辞書は引く気にならなかったけど,電子辞書にしてから引くようになりました」という声がちらほら聞こえ始め,やがて生徒の机すべてに電子辞書が並ぶようになると(それはそれで壮観だが),紙の辞書を薦める言葉は喉元につまってしまい,せいぜいおまけで貰った安物の電子辞書を使う者や携帯を辞書代りにしている者にダメ出しをするくらいになってしまうのである。

もちろん,電子辞書だってうまく使えば,欠点はかなりカバーできる。便利すぎてみんなうまく使おうとしないだけである。うまく使ってないのに,使えてしまうというのも電子辞書の欠点なのかもしれない。「用例キーを押そう」と何度も言っているはずなのだが,みんなどうよ?

 

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by rickie | Posted in その他(高校生向け), 英語の世界(一般向け), 辞書のはなし | No Comments »

Making of This Site — 初心者のWordPress 2

2月
2008
20
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前回はHTMLとCSSの学習についてまででした。

ここでようやく本題の WordPressに入ります。前回に引き続き,初心者限定・玄人さんには無益な情報です。

準備段階2  ローカル環境へのWordPressの導入

「ローカル環境」とは,今自分が使っているそのパソコンのことです。どこかのレンタル・サーバーを借りる前に,自分が作ろうとしているサイトの模擬サイトを自分のパソコン上に作っておくわけです。まともにサイト運営をするつもりなら,これは必至でしょう。HTML-CSSの実地学習から,デザイン・サイト構造・使い勝手の変更などの試行錯誤,さまざまな実験等はすべてローカルで試してみてからサーバーにアップするという手順になります。サーバー上で実験しているうちに,デザインやサイト構造がぐちゃぐちゃになりおまけに元に戻せなくなった,なんてことは絶対に避けたいわけです。

ちょっとここでWordPress関連の書籍を紹介しておきます。これも入手できる限りの本を集めまくりましたが,すくなくとも2008年2月の時点で使える本は次の2冊のみです。

WordPressはバージョンアップの速いソフトなので,情報も遅れたものになりがちですが,今のところこの2冊とも(一部古くなりつつある情報もありますが,その部分は識別可能です),必読でしょう。ここに載っていない情報は,ネット上(とくに本家WordPressのサイト)にしかありません。Movable Type に比べると日本語書籍の数は少ないのですが,この2冊で質的には十分でしょう。もう一冊,

も私のような超初心者にはいい本(英語)でしたが(WordPress MU の情報は貴重),まあ前の2冊を超えてはいません。

ローカル環境の構築は,上の2冊,特に乙彼・田中本に詳しく書かれています。XAMPPという(フリー)ソフトを使って,ローカルサーバーとMySQL, PHP というWordPressに必要な環境をすべて整えることができます。

ローカルでWordPressに習熟しつつ,これから作るサイトの具体的イメージを膨らませていきます。サイトの外見については,WordPressで「テーマ」と呼んでいるサイト見本のようなものの中から気に入ったものを選び出し,それを元に改造していきます。「テーマ」は本家WordPressのサイトに Theme Viewer というテーマ集があり,そこには1300以上のテーマがダウンロード可能になっています。ここに載っていないものも含めればおそらく2000を超えるテーマが全世界にあると思われます。ヨーロッパのものなどはおしゃれなデザインで気に入っているものあるのですが,そのうち使ってみたくて,どこにあるのかあまり教えたくないくらいです。いろいろサイトデザインを考えるのは楽しい作業です。

テーマと並んで役立つのが「プラグイン」でしょう。WordPressの機能を拡張する追加ソフトのことです。定番のスパムブロックから始まって,これは便利だというもの,何に使うのかよくわからないもの,何だかなあ,というもの,実にさまざまなものがあります。これも本家WordPressの Plugin Directory に1500以上のプラグインが並んでいます。日本語化されたものだけを集めたサイトもありますが,日本語化されていなくても日本語版で使えるものもたくさんあります。

しかし,美しいデザインと,充実した機能があればいいサイトができるというものでもありませんよね。この時点では,自分のサイトで何がやりたいのかをはっきりさせながら,それを機能面,デザイン面と結び付けていくことを考えることが大事でしょう。ただし,あまりキッチリ考えすぎても,実際に運用してみたら考えが変わっていくものですから,「遊び」というか,将来の変更の余地も計算に入れておいた方がいいと思います。(つづく)


 

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by rickie | Posted in サイト運営ログ | No Comments »

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