「東大合格生のノートはかならず美しい」(太田あや著 文藝春秋)という本がある。売れに売れている,というはなしだ。近所の本屋ではレジ前に平積みである。
それにしても,なタイトルではある。まあ,タイトルをつけるのは著者ではなく編集者だろうから,そして昨今は(昔から?)タイトルと企画力と営業力で売り上げは決まってしまうだろうから,文句を言うのも大人げない気はするが,中身も東大,東大とけっこううるさい。タイトルが「東大生の」ではなく「東大合格生の」になっているのは,東大に合格しながら他の大学に行った人を含めているのかな,と思ったが出てくるのは東大生ばかりで,「合格」をつけているのはこの本のターゲットが受験生であることを示しているにすぎないらしい。「『これは使える!』と学生のみならず大人からも大反響!」というのがうしろの帯に踊る文句だが,この程度のことに大人が大反響してはいけません。でもきっと買っている人の大半は大人なのだろうな。
結論から言えば,悪い本ではない。
「ああしろ,こうすべき」という教師目線ではなく,学生(「東大合格生」)の声とノートの写真を中心に構成している。高校生なら,ノートの写真を眺めるだけでも参考にはなる。おまけに,そのノートたちがたいして美しくないところがよい。
筆者は「東大合格生」のノート収集から「7つの法則」を引き出している。いわく,
- とにかく文頭は揃える
- 写す必要がなければコピー
- 大胆に余白をとる
- インデックスを活用
- ノートは区切りが肝心
- オリジナルのフォーマットを持つ
- 当然,丁寧に書いている
うーむ。ま,よろしいんじゃないでしょうか。あたりまえのこと,と言ってもいいのだが,確かに当たり前のことしか書きようがない。
1.は文頭を揃えると言うより,インデントを意識する,の方がいいかな。
2.はそのとおり。英語の長文を書き写す必要はない。
3. や 5. は,案外,生徒に浸透していないことかもしれない。ぎゅうぎゅう詰めに書く生徒は多い。
4.は科目によっては必要ない。
7.はどうかな。ノートの丁寧さ,まして美しさは,成績と比例しない場合が多いような気がする。
6. が肝心なのだが,こればかりは試行錯誤するしかない。
自分の経験から言っても,高校生くらいの勉強というものは,じつはかなりの部分,事務的な手作業に時間を取られている。試行錯誤も含め,学習そのものより,学習スキルの体験学習という意味合いが大きい。勉強法を勉強することに時間が取られているし,それはしかたのないことだと思う。その体験学習を自力で積み上げることもだいじではあるが,教師や先輩や同級生から伝わる,「盗む」という形で昔からスキル教育は行われてきた。人のノートを借りて,「あっ,これ自分もやってみよう」とかである。
今の世の中は至る所で経験伝承のパイプが詰まっているようなので,そういう基礎的なスキルに無知(ならまだいいが,無関心)のまま大学生になってしまう人が多いのだろう。
もちろん,ノートは科目によってずいぶんと違うものになるはずだ。体系的な知識を伝授することに重点が置かれる理科,社会(地歴,公民)は,ノートも必然的に体系的になる。「美しい」と呼べるノートが出現するのもたいていこの分野だ。それにくらべ,演習が中心になる英語・数学はフォーマットが決めにくい。左のページに長文をコピーして貼り付け,右に教師の説明を書く,なんてのが一般的だが,長文の長さや難易度が変わるとバランスがとたんに崩れてしまう。この本に載っている英数のノートも,かなり乱れていたり,特に珍しくもないノートだったりするのだが,それは科目特性から考えて当然のことだと思う。予習に重点を置くか,復習の便宜を考えるかでも違ってくる。
ノートをきれいにすれば成績が上がるわけではない。ただ,ノートについて考えることは,勉強にどう向き合うかを考えることに等しいので,その態度の変化が成績に反映するのは当然のことだ。ノートはそれを考える手がかりとしては重要であることに間違いはない。
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バラエティ番組で芸人の発言に字幕スーパーがつくようになったのはいつ頃からだろうか。
インテリからは軽蔑の対象でしかないお笑い番組だが,僕はけっこう好きな方の部類に入るだろう。その番組の出演者のやりとりの核心部分が,よく字幕としてスーパーインポーズされる。昔はそんなものはなかった。ただ耳で聞いて笑うだけだ。これが始まったのは,まったく個人的印象に過ぎないのだが,どうも1995年頃だったような気がする。
当時はオウム真理教事件の渦中で,テレビは朝から晩まで「オウム」で明け暮れていた。番組には教団関係者,元信者たちの内部暴露インタビューがあふれていていたが,当然その告発者たちの顔は映されず,音声は加工されている。聞きにくい音声だから,画面の下にはその発言がテロップとして文字で表示される。そんな番組を次から次へと見て,ふとチャンネルをバラエティに切り替えると,そこでも同じことを始めていることに気づいたのだ。「ここで笑ってください」と言わんばかりに,オチは色つきの文字で大書されていた。
あっ,テレビが予備校化している,その時最初に感じたのがこれだ。
予備校というところは(今は高校も予備校化してしまったので同じようなものだが),耳で聞けばわかることをわざわざ黒板の上に文字や図やチャートとして見せてあげる業者である。生徒からのアンケート(予備校講師の最大の関心事)には,「板書はわかりやすいか」という項目があるところもある。いかにわかりやすい板書をするかに教師生命を賭けいてるの,とでも言いたくなる教師もいる。これが重視されるようになったのも,さかのぼっても1980年代後半ぐらいからだろうか。
べつにテレビや予備校に限ったことではない。わかりやすいことが最大の価値であり,そのためには耳よりも目に対する訴求力に頼る,というのが近年の傾向といっていいだろう。ちまたの書店には「図解のしかた」「ビジュアル化」「見える化」(!)を殺し文句にした本があまたころがっている。情報の受信者が,耳で聞いたことを自分で再構築し,重要だと自分が感じたことをそこから抽出し,必要なら自分で図解するというよりも,発信者側が,あらかじめ枝葉を切り落としてエッセンスをわかりやすく提示することが重視される,そういう時代であるらしい。どうも「聞いて理解する」という能力は退化し始めているようだ。
年寄りは昔話ばかりする。まだ老人の一,二歩手前だと思っているが,昔話ついでである。
僕が通った中学校は私立中でカリキュラムが独自のものだったので,中学から漢文やら微積分やらをやらされた。中一の時の社会は「地理」を扱い,先生は「ジロリンタン」というあだ名の,ギョロッとにらみつける目のこわいおじいさん先生で,僕のクラスの担任でもあった。
授業は彼の古いノートを読み上げていくだけで,気が向いたら地名ぐらいは黒板に書いたが,それ以外は余談もなく,おそらく毎年同じ内容をなぞっていく退屈な授業だった。体制の転覆も,国名の変化もない,「冷戦」という奇妙に安定した時代だったのである。それでも,中一である。その退屈きわまりない授業を退屈と思わず(きっと思ったんだろうが,退屈の責任は退屈だと思う自分の方にある,と考えられていた),誰も文句も愚痴も言わず,ジロリンタンのことばをノートにただただ書き留めていった。中学からの勉強はそれまでとはまったく違う「学問」の入り口だという信仰がまだ生きていたように思う。いまでは消えてしまったが,授業で書き取ったノートを家でまとめ直す「ノート整理」などということばも健在であった。むろん成り行きでは入れてしまった有名私立の中学生としての矜恃もあっただろうが,当時は多かれ少なかれどんな授業でも同じようなものだったのだ。そして,一年間しわがれ声をノートに文字化していくことで,自分なりのノートの取り方が確立していったのではないか。
考えてみると,人の話を耳で聞き,それを自分で文字や記号に変換して行くという作業は,一昔前までは中学生くらいで身につけておかなければならないスキルだった。そんな教師ばかりだったのだから,自然に身につくスキルであった。今はそういう「常識」はなかなか通用しない。予備校はもちろんだが,高校も,さらには大学でも,教師たちは板書で,あるいはプリントやパワポで,あらかじめ視覚化され整理された情報を提示しなければならない。学業に関する労力遂行義務(の一部)が生徒から教師側に移行したわけだ。義務を履行しない教師は,履行する多くの教師に対して比較劣位に立ち,生徒から忌避され,市場から淘汰される。いまや誰でも知っていることだが,授業は商品となったのである。
さて,こうした変化によって何かが失われたのだろうか。仮に失われたとして,その喪失は哀惜にあたいするものなのだろうか。復活されるべきものなのだろうか。それがよくわからない。
ま,いずれにしても昔話はこのへんにしよう。
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大学をのぞいてみる
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授業をのぞいてみる
高校生でも理解できる(かもしれない)お勧め授業
多くの大学のオープンキャンパスでも体験授業があります。オープンキャンパスに行くならぜひ参加してください(内容にもよりますが)。
継続的に高校生対象に大学が行っている授業はあまりありません。何年も継続しているのは,次のものくらいしかありません。
■ 東京大学 高校生のための金曜特別講座
ここには2002年以降の高校生向けの講義が紹介されていますが,中には動画がついているものがあって,これはとてもオススメでしょう。
各大学では,上記のオープンキャンパスの際の体験授業以外にも,期間・対象を限定して,授業を行うことがあります。主催も大学だけでなく,学部や研究室・付属施設などさまざまです。詳しくは各大学のホームページをご覧ください。
■ 聖心女子大学 高校生のための公開講座 2008
■ 慶應大学 高校生のための体験講座(高2対象)
■ 早稲田大学 オープン教育センター 高校生対象
その道の先輩・達人の話を聞く
■ ラジオ版 学問ノススメ
オープンコースウェア
オープン・コースウェア ( OpenCourseWare )とは,大学の授業の内容をネット上に無料で一般向けに公開しようという試みです。マサチューセッツ工科大学(MIT)によって提唱・開始され,それと同等のものを日本の一部の大学でも開始しました。MITでも全講座を網羅するのに数年かかりましたが,日本は開始したばかりでまだまだ不十分です。それに,シラバス,講義ノート,参考文献リスト,テストの内容などが中心で,授業そのものを配信しているのはごく少数です。
これは高校生を対象にしているわけではなく,一般向けの公開ですからわかりやすいわけではありません。しかし,大学が何を教えているのか,その学問では何が問題にされているのかを知る上では参考になるでしょう。
国立大学
私立大学
この中で,東大のオープン・コースウェアは学内向けの講義,学外向けの「公開講座」などのビデオ配信が一部ですが,公開されています。
研究室をのぞいてみる
学生生活をのぞいてみる
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rickie
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著者: 山岸俊男・爆笑問題(太田光・田中裕二)|出版社:講談社|2007年|760円|高校生・一般向け|独断的おすすめ度 ★★★☆
社会心理学の紹介。
爆笑問題は研究室に到着するや,実験台にされてしまいます。この最初のカマシのせいか,太田の牙が抜かれて今回は少しおとなしめです。そのせいか,このシリーズの中では,学者と爆問とのかけあいがなかなかうまくかみ合っている方だと思います。山岸氏の提示のしかた,プレゼンテーションもうまくて,もちろん入門の入門の入門にしかなっていないとしても,読んでみると社会心理学への興味が湧いてくるのではないでしょうか。
心理学は昔の行動主義心理学の時代からよく実験をしていて,それで「マウスで実験して人間心理の何がわかるんだ」というある意味紋切り型の批判を浴びてきました。大昔わたしも図書館で「心理学概論」なる本を読み始めたものの,そんな話ばかりですぐに放り出してしまいました。でも時代は変わって,行動主義はすたれ,実験もちょっとばかりおもしろくなってきたようです。見知らぬ人同士のグループを対象にした実験で,協調して行動すれば全員に利益が少しあるが,自分だけ出し抜こうとすれば大きな利益になりうるという実験で,この実験を日本人とアメリカ人に行ってみると,日本人はおおかたの予想を裏切って,必ずしも集団の利益をアメリカ人より重視しているわけではないが,相互に監視しあう状況だとアメリカ人よりも集団志向になる,なんていうおもしろい結果が出ているそうです。(番組での実験では太田の一人勝ち。)
心理学というのは高校生には(一般にも)誤解されがちで,人間の心のひだの隅々まで知っているのが心理学者だと思っている人が多いのですが,心理学はふつう我々が使っているような意味のよろこびとか悲しみといった「こころ」を研究しているわけではないといった方がいいでしょう。そして「心理学」は個人を対象にしているのに対し,「社会心理学」は社会と個人の相互作用の中での心理を研究対象にしている学問です。
タイトルの「人間は動物である。ただし・・・」は,山岸氏の発想の基本形を簡略に言ったものなのでしょう。
山岸: だから問題の立てかたとしては二とおり考えられます。
「人間と動物とは違うのだ。なぜならば人間はむちゃくちゃ頭がいいからだ。どうしてそんなに頭がいいんだろう。」
「人間だって動物だ。それなのに人間は社会を作って暮らしている。どうしてそんなことができるんだろう。」
田中: ああ,センセイは後者なんだ。
山岸: そう。これが経済学者だったら,人間はむちゃくちゃ頭がいいっていう前提で理論を作る。むちゃくちゃ頭がよくて,自分の利益だけを考えて行動をする。
田中: しかし,さっきやったような実験ではそれを裏切るような結果が出る。
太田: さあ,どう説明する,経済学!
どうやら,社会心理学はゲーム理論を横糸にして,生物学-社会心理学-経済学をつないでいくという構想を抱いているようです。人文・社会科学系の中ではどちらかというとマイナーな社会心理学ですが,けっこう大きな野望を秘めているのですね。
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著者: 佐藤勝彦・爆笑問題(太田光・田中裕二)|出版社:講談社|2007年|760円|高校生・一般向け|独断的おすすめ度 ★★☆☆
むかし,もっと限定すると中学二年頃まで,ぼくは理系の少年でした。
● 小学校4年 解剖に目覚める
近所に小川が流れ,その向こう一帯は田んぼだったので,カエルには事欠かず,捕まえてくると家の玄関前のコンクリートに叩きつけて失神させ(麻酔の代わり),親に買ってもらった顕微鏡+解剖セット(メスとピンセットだけだけど)で解剖というか解体するのであった。何度もやっていると飽きるもので,開腹した時点でそのまま御遺体を放置したこともある。今であれば,こういう少年は危険人物として警察か児童相談所に通報されるのかも。
● 同じく小4 理科の実験に目覚める
塩酸と水酸化ナトリウムを薬屋で親に買ってきてもらい(劇薬だから子供は買えない),その二つを中和させて喜んでいた。何ができるかお分かりですよね。塩化ナトリウム,ふつう食塩と呼んでいる物質です。
● 小学校5年 天体観測に目覚める
「展望台」と近所で呼ばれていた,アパート群のかたわらの児童公園にある高さ2メートルくらいの楼の上に屈折式天体望遠鏡を持ち込んで,友人2人といっしょに明け方まで観測をした。何を観測したかは覚えていない。覚えているのは初めての徹夜に興奮して夜明けに3人でジェンカを踊ったことである。「れっつ・きす・ほほ寄せて...」
● 小学校6年 東京に戻ったので自然と断絶した
● 中学校1年 相対性理論に目覚める
講談社ブルーバックスの相対論関係の数式が出てこない本を読み漁った。わかっていたのがどうかは,定かではない。なにせ,発表当時だって,わかった学者は世界に10人しかおらず,そのうち9人は誤解していたとか何とか言われる理論ですから(数字には異説あり)。男の子はこのテの話にロマンを感じたりするというだけです。
さて,爆笑問題太田くんもこういう男子の一人だったようで,この本でも解説しようとする宇宙物理学者・佐藤勝彦氏を押さえて田中くんにウンチクをたれています。「すみません,田中はバカですから,先生を前にしてアレですが,私に説明させてください。アインシュタインは,・・・。それをハイゼンベルクっていう人が,・・・」ってなかんじ。
佐藤氏の関心の一端は,冒頭の次の部分で語られています。
田中 できるんですか,タイムマシンって。
佐藤: ええ。タイムマシンは「理論物理の範囲では,できるように見える」んですよ。だから困っているんですけどね。
太田 困っているねえ。
(中略)
佐藤 そうなんですよ。相対論という,今の物理学の基本になっている法則が,タイムマシンができていいようになっているんですよね。だから,考えるんです。でも一所懸命,何とかタイムマシンをできなくしたいのが本音なんですけどね。
相対論はタイムマシンの可能性を排除しない→でも,タイムマシンが可能ならさまざまな論理的パラドクスが生じる→よってタイムマシンの不可能性を証明したい→その糸口は量子論にあるのでは? というのが佐藤氏のテーマのようです。
後半はいつものことながら,太田くんが文系にありがちな神秘主義・不可知論の方向へ暴走し始め,対するに佐藤氏がナイーブな(失礼)科学主義・決定論の線で対抗します。方程式に宇宙のはじまりの時点の初期値を代入すれば,宇宙の歴史すべてが算出できるというやつです。
もちろんこのシリーズはうわっつらをなめるだけですから,あまり議論は進展しません。中1の時のぼくでも「そんなの知ってるよ」といいたくなるレベルですから,むしろあまりこういうことに関心がなかった人にお勧めなのかもしれません。
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著者: 田沼靖一・爆笑問題(太田光・田中裕二)|出版社:講談社|2007年|760円|高校生・一般向け|独断的おすすめ度 ★★☆☆
爆笑問題が学者から話を聞くNHKの番組を書籍化したシリーズ。
この本では,生化学の田沼靖一(東京理科大薬学部)を訪問します。アポトーシス論とゲノム解析を基礎にして薬の開発をやっている人です。
幼いころに死というものがあることを知って,すさまじい恐怖にとらわれた人は多いのではないかと思います。たいていの人は,それ以後できるだけ死のことは考えないようにして,そんなもの存在しないよというふりをして,生きていきます。でも時々死というものを深く見つめる必要に迫られることもあります。それは,身近な人の死という人生上の転機においてだったり,何かの職業上の必要(葬儀屋さんとか)だったり,学問・思想的なあるいは文学的な関心に引きずられてだったりします。死を問う学問は,たいてい哲学や精神分析や文学であることが多いのですが,自然科学もやっと死を真正面からとらえることができるようになったのですね。
田沼氏の専門はこの「細胞のアポトーシス的な死」です。細胞の死には大きく分けてネクローシスという外側から破壊されての死と,アポトーシスというDNAに組み込まれている死の二種類があります。つまり,人は(生物の細胞は)老いてくたびれて,機能しなくなった果てに死がやって来るというよりも,あらかじめ死は遺伝子的に予定されていて,細胞は「そろそろ死ななきゃ」という感じで死んでいく(ホントか)ということです。人は死に向かう存在なわけです。たとえば,がん細胞はこのアポトーシスを忘れてしまった細胞なので,がん細胞にアポトーシスを組み込めばがん治療が可能になるというような応用が可能です。
(昔からわたしは思ってたんですが,ウィルスとか癌とかは人間の中に住み着いてるくせに,人を殺してしまう。人を殺せば自分も死んでしまうんだから,生物学的に見て,人を殺すのは無意味である。だから何とかウィルスや癌を,「おまえなあ,そんなKYなことしてんじゃないよ」と説得することができれば治療が可能だと思ってたんですが,それと似ているでしょうか。似てないよね。)
わたしは文系的人間で,太田もそうですから,「進化の過程では,アポトーシスは両性生殖とともに生まれた。つまり,性とともに死は誕生した」なんてくだりを聞くと,文学的に読み込んでしまいます。「おお,バタイユじゃん」とか「こっちはハイデガーだよね」とか。ま,そういうインスピレーションを与えてくれる本ではあります。理系の人には冷ややかな目で見られますけど。
このシリーズはその分野について深い知識を得たい,じっくり学んでみたいという人には全く向きません。その分野を知っている人にとっては,入口のそのまた入口あたりでうろうろしているようで,物足りないでしょう。その分野は全く無知で,ちょこっとのぞいてみたい,しかもあんまり苦労せずに学者の問題意識の中の面白そうなところだけを,しかも結果だけをつまんでみたい,という人向けです。だからこそ,あまり何の興味も持っていないような高校生には向いていると思います。
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rickie
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著者: 野矢茂樹・爆笑問題(太田光・田中裕二)|出版社:講談社|2007年|760円|高校生・一般向け|独断的おすすめ度 ★★☆☆
NHKで放映されている「爆笑問題のニッポンの教養」シリーズを書籍化したうちの一冊。一度でもご覧になればおわかりのとおり,爆笑問題が学者を訪ねて教わる,というか爆笑問題(もちろん太田の方が)が学者相手につっこんだり,くってかかったりというのが狙いの番組です。当然それほど深い話が期待できるわけではないですが,太田がうまく突っ込めればそれなりに面白く,かみ合わなければ編集でごまかすしかなくなります。
今回は,いきなり野矢茂樹の「田中さん,太田さん,『心って何?』と聞かれたら何と答えますか のや」というお題で始まります。太田はテーマが文系関連だと,理系の時の,御説を拝聴させていただきます型態度とはうって変わって,本来のキャラどおり横柄・傲慢と言えそうなくらいの態度で臨むようですね。それはそれでいいのですが,議論はいまいち咬み合いません。でも,咬みあわないまます進んでいくところどころに,哲学的な考え方とはどういうものなのかがかいま見えないわけでもありません。
「日本の哲学は,欧米の哲学の解説・紹介しかしない」と言われ続けて久しくなります。特に日本の哲学者は大陸系(ドイツ・フランス)の影響を強く受けてきましたから,デカルト・カントが,ヘーゲル・マルクスに,それがサルトル・ハイデガー,そしてドゥルーズ・デリダと時代とともに変わっても,コピーとアレンジという基本線はあまり変わらなかったのは確かです。最悪の場合は,哲学=哲学史・思想史的知識となり,「ニーチェが・・・」「フッサールによれば・・・」という name dropping が哲学そのものとなり,「知ること」が「考えること」を抑圧する,という悪しき図式が暗黙のうちに支配してきたようです。その批判は,ひとつにはここ十数年の英米系哲学の流行という形で,あらわれてきました。英米系は,どちらかというと,ということだけど,知識のよろいで身をまとうより,徒手空拳で課題にぶつかるのを好むようです。哲学者は「ものしり博士」であるより,「考える人」であるべきだ,ということになります。
この本に戻ると,哲学者の名前はほとんど出てきません。野矢は,太田と対等の立場で「心とは何か」についての議論を知識としてではなく,先人が何を言ったかではなく,ごくごく普通のことばでゼロから考えようとしているように見えます(ホントはゼロからなんかではないですが)。
野矢: だから一枚岩の「これが心です」って言えるようなものはなくて,世界に入らなかったから,とりあえず心に入れておきましょうみたいな「ゴミ箱」みたいなものになっていると思うの。それが僕らが思っている「心」っていう概念。
この本を読むのに,哲学用語の知識は全く必要ありませんが,彼らの考えの筋道をたどる努力は必要です。それを小さな哲学と呼べなくはないでしょう。後半では,野矢と太田はなんとなく近づいてしまっています。この辺は番組を成立させる爆問の力量なのでしょうか。
最後のインタビュー部分で野矢は「哲学病」について語っています。多少冗談交じりでありますが,哲学者は年季の入った哲学病患者であり,初心者の哲学病患者にアドバイスできることが,哲学の社会的貢献であると。
ここで「哲学病」と言っているのはどういうことなのか説明しにくいけれど,たとえば自分とか他人というもののわけのわからなさ,常識的にあたりまえのことが,自分でも当たり前だとはわかっているけれど,でも何とも言いようのないひっかかりを感じてしまう,そういう経験のことを言っているのだと思います。おそらく誰もがそういう経験を一瞬は感じるでしょうが,ほとんどの人はすぐに忘れてしまいます。それを忘れられなくなるのが「哲学病」なのでしょう。
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rickie
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東京大学教養学部編 |出版社:培風館|2005年|1300円|高校生・一般向け|210p.|独断的おすすめ度 ★★☆☆
東京大学が高校生向けに行っている講座を書籍化したシリーズの第2弾。第1巻目のレビューはこっちです。
第1巻は理系ものが多かったのですが,今回は文系が多め。1部の最初の二つだけが理系ネタです。第1巻ほどの発見はなかったな,というのが正直な印象ですが,わたし自身文系の人間ですからそっち系の方が多少知識がある分,評価がきつくなりがちかもしれません。
このシリーズは,文系・理系ごった煮になっていて,文・理を分けた方がどの学部に進学しようか迷っている高校生にはよかったのに...という考え方も当然あるでしょう。逆に文・理を完全に分けてお互いのことは何も知らないという現在のあり方に一石を投じる意味では,これでいいのだという考え方もありえます。まっ,実際には出版社の都合でこうなったんだろうとは思いますが。
この文系・理系の壁・対立の問題で有名なのは,1950年代にイギリスの小説家兼物理学者である C. P. Snow という人が書いた(講演だったかも) “Two Cultures” という文章で,その頃からすでに文理のミゾは問題になっていました。学問は日に日に専門分化していますから,文理両方に精通することはますます難しくなっている一方,そういう人材がますます必要になっていることは確かでしょう。
第2巻のもくじは以下のとおりです。
1部 情報
● 携帯電話と情報の世界 川合慧
携帯電話がつながる仕組みをごく簡単にですが解説しています。糸電話は実際は伝わってない!という説にはちょっとびっくり。
● ソフトウェアの科学 玉井哲雄
うーん,ソフトのことを全く知らない人には入門にはなるかも。でも,最近は高校の授業でも,もっと高度なことをやっているのでは?
● 時計と時間の歴史 橋本毅彦
日本人は電車の発着時刻に見られるように時間に非常にうるさく,細かい...と思われていますが,実は明治時代以前はすごくルーズだったという話がおもしろい。
2部 歴史と未来
● 日米関係の現在と未来 油井大三郎
● 欧州統合を考える 柴宜弘
● 国境紛争から地域統合への道 —中ロ関係の50年— 石井明
この3本は政治・外交史のはなしです。中ロ(中ソを含む)関係史が少し面白い。「学ぶことは自己を解放することだ」というフレデリック・ダグラスのことばが印象的。
● 21世紀に読み直す夏目漱石 半藤一利
この人は東大の教師ではなく,漱石研究では有名な作家です。学校の宿直制度は戦前の天皇の御真影(天皇・皇后の写真)を守るためであったそうな。
● 馬の世界史 —世界史を再考する— 本村凌二
この人は趣味が競馬だそうです。なるほどね。馬の歴史の本でJRAから賞をもらっている!
● 21世紀の日本社会を考える 山脇直司
公共哲学についてです。「滅私奉公」(お国のために国民は犠牲に)でもなく,「滅公奉私」(自分の利益が全て)でもなく,「活私開公」をとなえていらっしゃるのですが,なにぶんこのスペースではちょっと本格的議論は無理ですね。注目すべき分野ですが。
● 日本史の謎 三谷博
少しでも日本史をかじっていればおもしろいかな。ここではおもに明治維新の謎について語っています。なぜ武士は自らの身分を葬った(廃藩置県・身分制廃止)のか,なぜ維新という変革が「復古」(王政復古)というシンボルのもとになされたのか。
できたら,自分の関心のないものを読んでみるといいと思います。得意な分野を伸ばすことはだいじですが,ひょっとすると得意になれるかもしれないものとの出会いがないままに終わってしまうのもさびしいと思いますよ。
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rickie
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東京大学教養学部編 |出版社:培風館|2005年|1400円|高校生・一般向け|246p.|独断的おすすめ度 ★★☆☆
2001年ころから東京大学が東京都立国際高校と協力して,東大の教師たちが高校生向けに授業を行うという企画「高校生のための土曜特別講座」がスタートしました。 この企画は「高校生のための金曜特別講座」と名前を変え,ベネッセの協賛を得て現在も続いています。
この講座を書籍化したのがこのシリーズで,現在までに『16歳からの東大冒険講座』が3冊,『高校生のための東大授業ライブ』が1冊の計4冊が刊行されています。
大学で研究され,教えられている学問がどのようなものなのかを知る上で参考になるばかりでなく,自分がどういうことに興味があるのかを知る上でもおおいに役立つと思います。もちろん大学教授・准教授たちの講義ですからやさしくすらすら読めるわけではないでしょうが,高校生向けにそれなりに噛み砕いて解説していますし,学問の内容それ自体を講義するというより,高校生に学問に対する関心を抱いてもらいたいという姿勢で語られていますから多少がんばればどんな高校生でもついていけるだろうと思います。
第1巻の内容は以下のようになっています。
1 部 記号と文化
● <想像の未来>について 石田英敬
専門は記号論。メディアの,そして現代に生きる私たちの想像力の貧困に立ち向かうには。
● 日本語と韓国朝鮮語 生越直樹
専門は韓国朝鮮語学。韓国朝鮮語(という言い方をしなければならないことにもこの言語が置かれている状況の複雑さが表れている)の入門の入門。
● でこぼこ道に気をつけよう —道,年号,テキスト— 宮下志朗
専門は言語情報科学。学校で教わる整理された歴史の下にうずもれている様々な逸脱やねじれを掘り起こす。
● 写真と異文化理解 今橋映子
専門は比較文学・比較文化。ジャーナリズムとしての写真,アートとしての写真。それらの写真の与える衝撃。それをどう受け止めるか。
2 部 生命
● たまごの不思議 松田良一
専門は動物学。卵のしくみと卵の知恵。
● 進化する機能性物質 菅原正
専門は有機物性化学。化学物質が生物のように進化していく?
● 海は不思議の玉手箱 竹井祥郎
専門は海洋生物学・比較内分泌学。システムとしての海の可能性と不思議。
● 進化とはなんだろうか 嶋田正和
専門は行動生物学。生物学の根底にある進化への入門。
● ヒトゲノムの解読と人権 石浦章一
専門は分子認知科学。天才の脳神経系はどこがちがうか。人種とは何か。遺伝子治療とは?科学と疑似科学。
● 体は細胞のすみか:そしてあるじはわたし —自分を知る生命科学— 跡見順子
専門は運動生命科学・身体運動科学・宇宙生物化学。宇宙の中の私の中の細胞の中身と私たち自身。
どれもなかなかおもしろくて,わかりにくいとすればむしろ短すぎ過ぎるからでしょう。私のおすすめは,「写真と異文化理解」とか,理系全般(理系の知識がこっちに欠けているので)。
全3巻ありますが,各巻の中に文系・理系が混ざっています。文・理に分冊して出版することは可能だったでしょうが,あえてそうしなかったことを評価したいと思います。「僕は文(理)系なので,理(文)系のはなしは苦手」というひとは多いでしょうが,それは自分で自分を「×系」の中に縛りつけて不自由にしているのと同じことです。広く関心を持つことの意味と効用はかなり後になってからでないとわかりませんが,悪いことは言いません,いろいろと知的浮気をしてみた方がいいと思いますよ。
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rickie
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Discipline Chart

大学の学部・学科では,たとえば,「心理学」と「社会心理学」を一つにして「心理学科」にしていたり,逆に細かく分けたりしています。たとえば,工学部の中に,電子工学,機械工学,土木工学があり,機械工学の中に自動車工学があるなど。
チャート内では,近くにある学問が相互に密接な関係をもった学問,になる予定でしたが,たとえば「地質・気象学」は(自然)地理学と天文学に近づけようと思ったら,関係ない数学にも近づいてしまった。どうも,3次元チャートにしなければむりなようです。
ガクモンのいろいろ
定番教科書がある学問(これだけやればなんとかなる)
- 自然科学全般(とくに,理論物理や,理論化学など理論面)
- 法学(法哲学や,法社会学,法思想史を除いた実定法学)
- 経済学(ミクロ・マクロの理論)
定番教科書なんかありえない学問
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