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ノーベル賞2008の狂騒

10月
2008
11
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ノーベル平和賞の受賞者が決まり,あとは経済学賞を残すのみになった。複数の日本人受賞者が出たために,今年は大騒ぎだ。

文学賞発表の時は,ノーベル財団のオフィシャルサイトである nobelprize.org で,発表のライブ中継を見てしまった。

定刻を1分ぐらい過ぎてから,紙切れを持った紳士が白い扉を開けて会見場へ入ってきて,すぐその場で立ったまま,前置きもなく「今年のノーベル賞文学受賞者は...」と切り出す。発表の瞬間は全世界からのアクセスが殺到したためか,ストリーミングが途切れがちで聞き取りにくく英語ではなくスウェーデン語のようだった。だが聞こえてきた名前は HARUKI MURAKAMI ではなく,Le Clézio であることはすぐにわかった。名前が挙がった瞬間,会見場には8割方の「オー」という失望の声と,その中に少しの歓声が混じる。フランス人らしい女性記者が満面に笑みをたたえて小躍りしていた。村上春樹ファンとしては,そこでストリーミングを切った。

ル・クレジオの名前は特にフランスのメディアでは事前にあがっていた。アメリカのメディアではPhilip Roth, Don DeLillo, Joyce Carol Oates といったところ。各国とも村上の名前も入っている。イギリスの賭け屋の予想ではイタリアの誰とか氏が1位で,村上は6位だったはず。

 

南部・益川・小林氏の物理学賞は,南部氏の国籍がアメリカ国籍であることがあまり話題にならなかった。新聞では「日本人3人」が見出しに大書されていたが,NY Times や London Times では「アメリカ人1人と日本人2人」(イギリスでは順序が逆だったかも)という見出しだ。読売新聞はNY Times の記事に「アメリカ人1人などという記事さえ出た」と書き,なんかNY Timesの方が間違っているかのようであった。

上記のnobelprize.org には,過去の受賞者一覧に国籍は記されていない。ノーベル賞は国ではなく個人に与えられるものだと考えれば(そのとおりだが)国籍など無意味だが,「日本人3人」を強調すること自体,その考えからははみ出している。フランス国籍の高行健がノーベル文学賞を受賞した時,「中華民族初のノーベル賞受賞者」というニュースが中国では歓びを持って迎えられたと聞いて,わかるような,それでも「ちょっとちがうんじゃないの」というような気持ちがしたのだが,ことは日本でも同じだった。

 

確かに,ノーベル賞受賞者の数は国の学術的水準について幾許かを語ってはいるだろうから意味がないわけではない。平和賞や経済学賞は批判や議論の余地が多く,また文学賞はそもそも存在意義があるのだろうかとも思うが,わたしが門外漢のせいか,自然科学系についてはノーベル賞の権威はそれほど疑っていない。文科省には××年までに□□人の受賞者を出すことという目標があるらしいが,まあ理解はできる。(でも,ノーベル賞を取らせる教育って,ありうるのか?)だから,国別受賞者数をうんぬんすることもそんなに強く批判する気にはならないが,でもちょっと騒ぎすぎではある。自戒も入っていますがね。経済学賞のMASAHIKO AOKI もいつか取ってほしいし。

 

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by rickie | Posted in 社会・時事, 雑記 | No Comments »

受験シーズンが終わります

3月
2008
12
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「大学は入りやすくなった」と言われます。私もこれは否定しません。以前なら,これではちょっとこの大学は無理だろうな,という実力の生徒でもけっこう「難関校」に受かったりします。

しかし,もちろんこれは統計上の話であって,個々の生徒を見れば成功も失敗もあります。全体的に入りやすくなれば,当然生徒の志望ランクも上がります。志望ランクが上がればやはり失敗例も増えます。第二志望くらいなら入りやすくなったが,第一志望の入りにくさは昔と変わらない,というあたりが実情ではないでしょうか。

塾,予備校,通信講座,そして高校,どこも成功例を声高に喧伝はしますが,失敗例には口をつぐみます。当然のことですけどね。私の感覚にすぎませんが,どこの学校・予備校でも成功例1に対して,失敗例2ならばいい方ではないかと思います。もちろん何を成功と呼び,何を失敗と呼ぶかは,本人の思い(「日東駒専に受かったんだから十分うれしい」とか「早稲田しか受からなくて悔しい」とか)や教師の思惑(「あいつがここに受かったの(ここしか受からなかったの)」)が絡んで,微妙なわけですが。

この時期は毎年,成功例よりも,失敗例の方が身にこたえる季節です。教師の心構えとしては,「受かれば生徒の実力,落ちれば教師の実力のなさ」と銘じるしかありませんが,その失敗が「実は失敗ではなかった」と思える日が来ることを念じてやみません。

 

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by rickie | Posted in 教育, 雑記 | No Comments »

大学進学についての雑感 1

2月
2008
12
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日本の全大学のサイトへのリンクのページを作ろうと思って,データを集めてみた。

急いで集めたので,ほんとうにすべての大学が網羅できたのかどうかよくわからないのだが,集めた限りでは,

  • 日本には,2008年4月の時点で726の大学がある。(大学校,大学院大学を除く)
  • 国立 81校,公立 72校,私立573校(うち株式会社立3校,自治医大は私立扱い)
  • 2001年以降に創設された大学は139校。1999年以降だと180校。

手元にある文科省のデータは少し古くて2005年のもの。それによると,

  • 大学数はなぜか私の2008年のデータとぴったり同じ726となっている。2008年は東海大のような大学統合や関西学院のような吸収合併があるので減っている?
  • 同データによると,短大数は1995年(ただしこのころのデータは5年刻み)の596校をピークに下がり続け,2005年には488校である。
  • 18歳人口のピークは1990年(5年刻みなので1986~1994のどこか)で約200万人。これが2005年では137万人。
  • 大学+短大の進学率は1975年から1990年ころまではほとんど変わらず36~38%。これが上昇したのが95年以降で,99年から05年まではあまり変化なく49~52%。
  • ただし,大学のみの進学率は90年の24.6%から2005年の44%まで,単調増加である。(その分短大進学率が減少)
  • したがって,急激な少子化にもかかわらず,大学(短大を除く)生の数は2000以降ほぼ60万人前後で推移している。(ちなみに1960年16万人,1975年42万人,90年50万人)

私のデータがやや不正確なのかもしれないが,大学数は落ち着き始めたとみていいだろう。しかしそれにしてもこの10年でできた大学が全大学の4分の1。21世紀にできた大学が全大学の5分の1ということになる。進学率の増加分を吸収したのが,この新設大学と従来の大学の新設学部なのであろう。ざっと見た印象では,私立の新設大学は,専門学校として出発 –> 短大を併設 –> 短大を縮小し代わって4年制大学を新設,というパターンが多いように思える。

90年からの大学進学率の2倍近くの激増(24.6% –> 44%)を考えると,大学生の学力低下は単に統計上当たり前のことのようにも思える。成績が正規分布しているとして,かつ,成績のいい順に大学に行くと仮定して,今の偏差値50の生徒はかつてのどれくらいに当たるのか?統計学は詳しくないので計算できなくて残念。誰かわかりません?

むろん,「大学全入時代」=無競争時代の到来,学習のモチベーションの大きな部分を支えていた「学歴社会」のゆらぎ(悪いことではない)というファクターがこれに加われば,平均的学力は低下する。しないわけがない。「ゆとり教育」というのはおもに小中学での問題であるが,それを見直したからとて,大学レベルではどうなるものでもあるまい。新しい動機付けが必要なはずなのだが。

 

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by rickie | Posted in 教育 | No Comments »

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