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村上龍のニューヨーク・タイムズへの寄稿

9月
2009
10
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作家・村上龍が9月8日版のニューヨーク・タイムズに寄稿しています(原稿の日付は7日)。

タイトルは Japan Comes of Age 「日本は成人を迎えた」。衆院選における民主党の圧勝をめぐる日本人の変化のはなし。600語ほどの短い論文です。英文の質から考えて,村上氏が日本語で書いたものをネイティブのスタッフが英訳したものでしょう。訳者の記載がありませんので,スタッフはNYT側ではなく,村上氏側の人物だと思われます。

 

原文は → Japan Comes of Age   by Ryu Murakami (The New York Times)

  • come of age  ― 成人する

 

著作権に配慮して全文の引用・翻訳は控え,主要な論点だけをピックアップしてみたいと思います。

 

LAST week, some news outlets called it a revolution when the Democratic Party of Japan unseated the Liberal Democratic Party, which had been in power here almost continuously for a half-century. The old guard was out, replaced by a breath of fresh air. So why don’t people look happier?

The Japanese people are realizing that no government has the power to fix their problems. But this is a good thing — Japan is finally growing up.

先週,民主党が自民党を打ち破った時,メディアの中にはそれを革命と呼んだところもあった。自民党は半世紀間ほぼ一貫して政権の座にあったからである。旧態依然たる古顔が消え,新鮮ないぶきが流れ込む。だとしたら,なぜ人々は浮かない顔をしているのだろうか?

どんな政府になろうとも諸問題を解決する力はないと日本人は認識しつつあるのである。だがこれは悪いことではない。日本がようやく大人になり始めているということなのだから。

  • outlet  ― 出口,はけ口。「ニュースの出口」というのは,この場合は各種報道機関のこと
  • the Democratic Party of Japan / the Liberal Democratic Party  ― 「民主党」/「自由民主党」の英語での正式名称。略して,DPJ / LDP 。
  • old guard  ― 保守派,守旧派,古顔
  • a breath of air  ― 「一陣の風」のように空気を「数える」時に breath を使う
  • grow up   ― 大人になる

 

「人々の浮かない顔」というのは,選挙後の民主党政権に対する「期待と不安」のことを言っています。「変わってほしいけど,変わるかなあ?」というのは,国民の多くの感情を要約するもので,村上龍はこれを日本人の成長ととらえたいわけです。何ごともお上がわるい,責任は上にあり,上が変われば世の中が変わる,そういう発想自体が幼児的であるということをいいたいのでしょう。村上のその感想は選挙後に各メディアが映し出した国民の声から生まれたもののようです。人々は民主党政権に対する期待を表明しつつも,

the melancholy expressions on their faces belie their stated expectations.

言葉に表れた期待感とは裏腹に,顔に浮かぶ表情はどこか憂鬱さをにじませている。

  • belie  ― ~を隠す,~を裏切る(感情など)

 

村上は,自民党長期政権を支えてきた基盤とその変化について語ります。

In the past, the government was able to fix our problems. After World War II, Japan’s growth was largely state-directed. (…) Today, in part because of our aging society and our troubled pension system, the government simply doesn’t have the money to make everything better.

昔は,政府が諸問題を解決することは可能だった。第二次大戦後,日本の成長は主に政府主導で勧められた。(…) 今日,高齢化や年金問題の紛糾もあって,政府がすべての改善策に手をつけるには,金がまったくたりない。

  • state-directed  ― ~-directed で「~に導かれた」
  • aging society  ― 高齢化社会 (イギリス英語ではageing というつづりもある)
  • pension  ― 年金
  • simply + not  ― どうしても・まったく・・・ない (not + simply ~だけではない)

 

かつては,農村を中心とする地元に利益を誘導し,その見返りに票を獲得するという自民党を支える基盤がありました。

They(=politicians) functioned more as lobbyists than as politicians, and it’s hard to imagine a softer job. That’s why they love to have their sons and daughters follow in their footsteps.

彼ら政治家は政治家というよりもロビイストとして機能していたのだ。これ以上おいしい商売はありえないだろう。自分の子どもにあとを継がせたがるのも無理はない。

  • function  ― 機能する
  • lobbyist  ― 圧力団体
  • soft job  ― 楽な,うまみのある仕事
  • follow in one’s footstep  ― あとを継ぐ

 

しかし,高齢化や経済の停滞により,地元への利益誘導 票の獲得 という構造は破綻します。地元利益自体が齟齬をきたし,すべてを同時に改善することができなくなります。

But a landslide victory won’t give the Democratic Party the money to both construct all the roads and finance the hospitals. National and local government finances are on the verge of collapse. The Japanese are not naïve enough to rejoice over a change of administration at a time like this, or foolish enough to believe that their lives are about to improve.

だが地滑り的に勝利したからといって,道路建設と病院への補助をともに可能にする金を民主党が手にするわけではない。政府も地方自治体も財政破綻の瀬戸際にある。国民は,このような時期に政府が変わったからといって浮かれるほど単純ではないし,生活がよくなると信じ込むほど愚かでもない。

  • landslide victory  ― 地滑り的勝利
  • construct   ― 建設する
  • finance  ― 資金,資金を融資する
  • on the verge of ~  ― ~の瀬戸際で
  • naïve  ― 頭が単純な
  • rejoice over ~  ― ~をよろこぶ
  • administration  ― 行政,政府

 

すべてを同時によくすることができないとすれば,幼子のようにそれでも全部ほしいのだと泣き叫ぶか,さもなければ何かを選択するか,どちらかしかありません。

The depressing truth is hitting home.

気の滅入るような真実がぐさりと突き刺さっている。

  • depressing  ― 人を憂鬱にさせるような,落ち込むような
  • hit home  ― 胸にぐさりとくる,響く home(副)「ぐさりと,痛烈に,ずばっと」

 

日本は何かを捨て,何かを選ばなければならないという時代に来ている。

The days when everything worked like a dream and everyone’s standard of living kept rising are over, and have been for a long time. Now that there is no longer enough money, the Japanese public has to make some hard choices.

万事が夢のようにうまくいき,国民全員の生活水準は右肩上がりで上がっていくという時代はとうの昔に終わっている。十分な金がない以上,国民は困難な選択に迫られているのである。

  • standard of living  ― 生活水準
  • keep Ving  ― Vしつづける
  • now that S+V  ― 今や・・・なのだから
  •  

    最後は次のように終わります。

    Deep down, we all know this. That’s why the gloomy expressions on the faces of Japanese on the street haven’t changed. But this does not mean we are on the verge of decline or decay. We’re merely experiencing the melancholy that any child goes through as adulthood approaches.

    誰もがこうしたことを心の底では承知している。街頭での日本人のふさぎ込んだ表情があいかわらずなのはそういうわけだ。といって,日本人が衰退・衰亡のふちにいるということではない。日本人は,子どもが大人になっていく時に通過する憂鬱を今経験しているということに過ぎないのである。

    • deep down  ― 心の底で
    • gloomy  ― 憂鬱そうな
    • decline  ― 衰退
    • decay  ― 腐敗,衰退
    • go through  ― 経験する

     

     

    青年は無限の可能性を信じているが,大人というものは自己の有限性を直視し,無限の選択肢の中から困難な選択をしなければならない。選択するということは残りを捨て去ることでもある。それは憂鬱なことなのだけれど,それが大人だ。かつて無限の成長を夢見ていた日本は,やっと選択と捨象という現実を見つめる位置にたどり着いた。およそそんなことを言っているのでしょう。別に民主党を選択したことが大人だと言っているのではありません。民主党に託しつつも冷めた顔をしている,それが大人(の自覚)だ,ということです。

     

    英語としてむずかしい文章ではありませんが,少なくとも英文で読むと,論旨が取りやすい論文ではありません。論旨が前後したり,飛躍したりという箇所がいくつもあります。英語の文章としての構成とは異なる構成で書かれているからです。でも,きっと日本語の原文だとそれほどの異和感がないのだろうと推測します。そのへんが翻訳の難しさ,というか限界なのでしょうか。

     

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by rickie | Posted in 社会・時事, 英語の落としもの | No Comments »

if ( 2009 – x = 100n ) then celebrate()

9月
2009
8
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あっという間に秋になってしまい,今年もまもなく終盤を迎える今になってこんなことを言うのも遅いのだが,2009年という年はなぜか「〇〇n周年」というのがやけに多い気がする。

  • ダーウィン生誕200周年
  • リンカーン生誕200周年
  • エドガー・アラン・ポー生誕200周年
  • 太宰治生誕100周年
  • 大岡昇平生誕100周年
  • 中島敦生誕100周年
  • 松本清張生誕100周年
  • 埴谷雄高生誕100周年
  • 花田清輝生誕100周年

大物だけをあげたつもり。

 

それから,現代史を見ると,

  • 第二次世界大戦勃発から70周年
  • 中華人民共和国建国60周年
  • 天安門事件20周年
  • インターネットができてから40周年

なんてのもある。

 

まあ,10n周年なんてのは10年ごとにやってくるわけだし,100n周年だって(nは自然数),綺羅星のごとくあまたいる過去の有名人の「生誕」「没後」を合わせれば毎年かなりの数の偉人賢人のイベントが発生する。別にとりたてて話題にするほどのことでもないのだが,それでも僕が関心を持っている人物・事件と重なる部分が多いのも事実で,それゆえ「今年はやけに多いな」という気がするのだろう。

 

  • centennial /senténiəl/ 100周年(米)  (centenary (英))
  • bicentennial /baisenténiəl/ 200周年(米)  (bicentenary (英))

 

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by rickie | Posted in 雑記 | No Comments »

In Italy for thirty years under the Borgias they had warfare, terror, murder, bloodshed – they produced Michelangelo, Leonardo da Vinci and the Renaissance. In Switzerland they had brotherly love, five hundred years of democracy and peace and what did that produce…? The cuckoo clock. (Orson Welles)

8月
2009
25
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「ボルジア家統治下の30年間,イタリアで起きたのは戦争,テロ,殺人,流血だったが,同時にミケランジェロとレオナルド・ダ・ヴィンチとルネッサンスを生んだ。スイスには友愛精神と500年に及ぶ平和と民主主義があったが,生み出したものといえば...ハト時計だけだ。」(オーソン・ウェルズ)


「第三の男」 右がオーソン・ウェルズ

「第三の男」 右がオーソン・ウェルズ

映画ファンならずとも知っている有名なセリフ。キャロル・リード(Carol Reed)監督による映画「第三の男」(The Third Man) の観覧車のシーンでオーソン・ウェルズが言うことばだ。

脚本はグレアム・グリーン(Graham Greene)で,後に同名の小説を出版(いわゆるノベライゼーション)。ただし,上のセリフはグリーンのオリジナルではなく,撮影中にオーソン・ウェルズの発案で追加したものだといわれる。

the Borgias 「ボルジア家」(the + 人名s は「~家の人々」「~夫妻」)は15~16世紀のイタリア貴族で政界のみならずローマ教会をも牛耳った。チェザーレ・ボルジアやルクレチア・ボルジアが有名。チェザーレは権謀術数ということばを絵に描いたような人物だから批判も多いが,逆から見れば天才的政治家でもあった。マキャベリの「君主論」は彼から着想を得たといわれる。


平和も民主主義も日常生活も退屈きわまりない。退屈きわまりないことが平和と民主主義と日常の不可分の属性でもある。できることなら,あしたすべてが変わってほしい。それを与えてくれるのは,天変地異や革命や白馬に乗った王子様や戦闘的美少女や,どれでもいいのだが,混乱と激動,疾風と怒濤こそが自分を根底から変えてくれるのではないか,そういう願望を若い一時期に誰もが感じるだろう。

もちろん,そんなものは都合よく現れるはずもないし,そういう願望はカルト集団におけるハルマゲドン待望とたいして変わりはしない。だが,現れるはずもないとわかってはいても,それを願望する側はそれなりに切実である。

 

それにしても,社会の混乱がすぐれた芸術やら進歩を生み出すというのはほんとうだろうか?実例もいっぱいあるが,反例もいっぱいあげられるような気がする。

戦国時代は日本の歴史の中でももっとも混乱した時代と言えるだろうが,その中から絢爛たる桃山文化が生まれた。しかし,それに続く徳川265年の泰平の世だって,歌舞伎と浮世絵,芭蕉と近松と西鶴,国学・蘭学などの藝術・学藝を生んだではないか。

戦争や軍事が科学技術を発展させるという考え方も,少なくとも80年代の日本の技術がアメリカやソ連という軍事大国の技術を凌駕しえたという事実だけをもってしても,神話とみなすことができるだろう。

 

だが,江戸時代はそれほど平和で退屈な時代だったのか,平和を謳歌する戦後の日本は冷戦という戦争をうまく利用できる立場にはなかったのだろうか?平和な大地の一層下で混乱したマグマが渦巻いてはいなかったのか?

 

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by rickie | Posted in 引用 | No Comments »

If an elderly but distinguished scientist says that something is possible he is almost certainly right, but if he says that it is impossible he is very probably wrong. (Arthur C. Clarke)

3月
2009
10
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「年はとっているが高名な科学者が,しかじかのことはある得ることだと述べる場合,彼はほぼ確実に正しい。しかし,そんなことはあり得ないと言う場合には,おそらく彼は間違っている。」 (アーサー C. クラーク)

  • elderly   「お年寄りの」 old の婉曲語
  • distinguished  「すぐれた,著名な」

 

年をとるとともに,人は知識と経験と自信とを積み上げていく(ものだと思われている)。そのうちの幸運な人は,さらに評判・名声・信頼,場合によっては財産も獲得できる。そうやって達人やら名人やら師匠やら権威やら,つまり成功者として自らを確立できるわけだ。しかしそのように得た成功報酬は,同時に彼にとっての限界となる。守らねばならない壁であり,自らを閉じ込める牢獄である。だから,それを打ち壊しにかかっていると彼(または彼女)が考えるものに対しては,本能的に反応する。「そんなことはありえない。」

もちろん,ものわかりがいい権威というものも,あまりありがたくはない。若者にとっては,いどみかかる壁は高い方がいい。「そんなことはありえない」と言われて,すぐにかしこまってしまうような主張ならば,それはやはり「ありえない」のだ。壁は,人間がこれまでに積み上げてきた知識や経験の総体なのだから,かんたんに壊れてしまっても困る。壁が壊れれば,その壁の中で暮らしている人類全体のダメージがあるかもしれないのだ。

問題は,権威には常に権力がつきものであるということかもしれない。といって,権力を持たない権威というものも存在しないのだが。

 

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by rickie | Posted in 引用 | No Comments »

「おくりびと」の受賞

2月
2009
26
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映画「おくりびと」(英語タイトル: Departures )がアカデミー賞外国語映画賞を受賞した。めでたいことである。この賞を日本の作品が受賞するのは初めてだという。

 

でも,それってそんなにすごいことなの?

カンヌの「パルム・ドール」なら,過去に「地獄門」(衣笠貞之助),「影武者」(黒澤明),「楢山節考」(今村昌平),「うなぎ」(今村昌平),ベルリンの「金熊賞」なら「千と千尋の神隠し」(宮崎駿),ヴェネツィアの「金獅子賞」なら「羅生門」(黒澤明),「無法松の一生」(稲垣浩),HANA-BI(北野武)が受賞している。

これらは『国際映画祭』であり,アメリカ映画,すくなくとも英語の映画をメインにするアカデミー賞とはちがっている。だからアカデミー賞はわざわざ『外国語』映画賞とことわっているわけだ。カンヌ・ベルリン・ヴェネツィア・トロントなどには「外国語」という断り書きのついた賞はない。どの言語,どの国籍の映画もスタートラインは同じである。

映画に順位をつけて何がおもしろいの?というまっとうな疑問は,とりあえず脇に置いておくことにする。

アカデミー賞はアメリカのお祭りであって,世界の映画の最高峰を決める祭典ではない。芸術性が基準になっているわけでもない。そんなことは自明なのだが,それでも知名度も影響力もずば抜けて高いのは,もちろん商業的な意味でのインパクトがいちばん持っているからだろう。アメリカは最大の市場であり,アメリカで興行的に成功しなければ,世界で成功したとは呼べない。

だからアカデミー賞が世界最高の映画賞であるといっても,商業的な意味ならそれほど外れていないということになるのでしょうね。アメリカのベースボールの大会にすぎない『ワールド・シリーズ』が,その年の世界最強のチームを選出する大会であると言ってもそれほど外れていないのと同じレベルで。

 

《アメリカ=世界》,《英語=世界共通語》という固定観念には誰もがうんざりしつつも,一朝一夕には改まりそうもないどころか,ますます強化されている。それに対抗しうるものも見当たらない。わたしたちはどこかで,対抗しなくてもいいやと思っているのかもしれない。世界というものをわたしたちは必要としていて,それに一番近そうなのがこの固定観念だからである。

 

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by rickie | Posted in 社会・時事 | No Comments »

Every vice you destroy has a corresponding virtue, which perishes along with it. (Anatole France)

11月
2008
25
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「あなたが滅ぼす悪癖の一つ一つには,それと表裏一体に美点がはり付いていて,それも一緒に消滅してしまう。」

(アナトール・フランス 『エピクロスの園』)

  • vice 「悪」「欠点」 ←→ virtue 「善」「長所」
  • correspond 「対応する」
  • perish  「滅びる,死ぬ,消え去る」
  • along with ~ 「~といっしょに」

フランス語原文は À chaque vice qu’on détruit correspondait une vertu qui périt avec lui.

 

vice と virtue には個人の欠点・長所という意味と,道徳的な悪と善という意味の両方があります。

前者の意で,欠点を矯正すれば,長所もまた喪われる,というふうに解すれば,人の欠点はすなわち長所でもある,欠点をなくそうとしてはいけない,それによって長所も消えてしまうのだから,そういう理屈になるでしょう。まあ,よく言われることではあります。

もっとも,この vice と virtue は個人の欠点と長所のことより,世にある悪と善のことを言っているようです。その理解では,善が善たるためには悪が存在しなければならない,という意味になります。

この項を岩波文庫版から引用すると,以下のようになります。

悪は必要である。悪が存在しなかったら,善もまた存在しないであろう。悪は善であることの唯一の理由である。危険から遠いところでは勇気が何であろうか?苦痛なくして哀れみが何であろうか?

献身も犠牲もあまねき幸福の真只中にあってはどうなるであろうか? 悪徳なくして徳を,憎悪なくして愛を,醜なくして美を考えることができようか?地球が住めるものであり人生が生きるだけの価値があるのは悪と苦悩とのおかげなのである。されば悪魔についてあまり嘆いてはいけない。悪魔は偉大な芸術家であり偉大な学者なので,少なくとも世界の半分は悪魔が造ったのだ。そしてこの半分は他の半分の中に緊密に嵌めこまれているので,前者を傷つければその同じ打撃によって後者に同様の損害を与えることにならずにはいない。一つの悪徳が破壊されると,それに照応して,それとともに一つの徳が滅びる。

『エピクロスの園』 アナトール・フランス (大塚幸男 訳)

「悪の魅力」というと誤解されそうですが,少なくとも,悪のない世界はこの上なく退屈な世界になるでしょう。善が輝き続けるためには,どこからか悪を供給しなければならないのですが,仕入れ先が減ってくると善そのものが痩せ細ってしまいます。

時々,若者の中に戦争待望の声が聞こえることがあります。大人はそれを保守化傾向のあらわれのように語ったりしますが,わたしには右も左も関係ないように思えます。平和しかない世の中は退屈きわまりなく,どこからか戦争を仕込んできたくなるのは当たり前でしょう。海の向こうの戦争・「語り継がれる」戦争・仮想現実の中の戦争,そのへんで我慢するしかないよ,いい歳した大人としてはそれくらいしか言えません。

この世には悪があった方がいい,ただしそれが我が身に降りかかってさえこなければ。本音はだいたいそんなところでしょうか。

 

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by rickie | Posted in 引用 | No Comments »

And where we are met with cynicism and doubt and those who tell us that we can’t, we will respond with that timeless creed that sums up the spirit of a people: Yes, we can. (Barack Obama)

11月
2008
11
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「そしてシニシズムや疑念や『できっこない』と言う人々に出会うなら,国民精神を集約しているあの不朽の信条をもって答えよう。わたしたちにはできるのだと。」

英語の Yes – No は,動詞を肯定するか否定するかで決まります。Yes が日本語の「いいえ」に当たる場合もある,というのは有名でしょう。ここも,「いや,我々にはできるのだ」と訳すことも可能です。

アメリカ合衆国第44代大統領として Barack Obama が就任することが決定しました。2001年9月11日以来おかしな方向に変わってしまった世界を,もう一度再生させてくれるのではないか,選挙の興奮が一段落した今もそんな期待は高まるばかりです。

オバマが勝った,オバマを勝たせた,その事実だけでもアメリカとアメリカ人に対する敬意を復活させるに十分なものがあります。具体的にどうするのかなど何もわからないし,歴史はしばしば理想が最悪の現実を生み出すのを見てきたのですが,それでも空疎かもしれない理想を選択する勇気を目撃するのは,感動的なものです。

上は選挙結果が判明した直後に開かれたシカゴでの集会での勝利演説(出典はここ)の最後の一節です。4年前,イリノイ州の一地方政治家だったオバマは,民主党党大会のキーノート・スピーチで一躍全国的な政治家となりました。いわば,たった一回のスピーチの力でその名を知らしめた政治家であり,演説の見事さ(とアメリカ人のことばへの信頼)はすごいといわざるを得ません。

Well, I say to them tonight, there is not a liberal America and a conservative America — there is the United States of America. There is not a Black America and a White America and Latino America and Asian America — there’s the United States of America. (2004 Democratic National Convention Keynote Address)

「わたしは今夜彼らに言おう。リベラルなアメリカ,保守的なアメリカなどというものはない。あるのは合衆国アメリカだ。黒人のアメリカも,白人のアメリカも,ラテン系・アジア系のアメリカもない。あるのは合衆国アメリカだ。」

今回の演説は4年前よりも意図的にトーンをずっと落としています。勝利の興奮を押さえ,すでに次を見据えているようです。でも,国民(nation)の再生,We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal (すべての人間は生まれながらにして平等であるという真実を,我々は自明なものだと考える)という建国の理念の体現,ニヒリズム・シニシズムの拒絶といった基本は変わっていません。基本理念しかない,という批判もできそうですが,それが今まで政治に無関心であった層を参加させるという政治文化の変革をもたらしたわけです。その意味ではこの選挙は一種の革命だったのかもしれません。

すべての変革は多かれ少なかれその意図に反して挫折するでしょうが,そうとわかっていてもなお変革に賭けるのが反シニシズムたる所以なのかもしれません。

 

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by rickie | Posted in 引用 | No Comments »