受験英語とは?

受験英語なんてない

わかっている人はわかっていると思いますが,「受験英語」=「大学受験のためだけに存在するような英語」 なんてものはありません。受験英語というネーミングは便宜上のもので,英語学習(学習という言葉もあまりしっくりこないのですが)という長い,おそらく一生かかる道程のうちの一里塚,通過点にすぎません。ここの入試問題にはいろいろ改善点はありますが,求められている英語力が全く現実の英語とかけ離れているということはありません。

少し前のことでしたが,さる高名なニュースキャスターがテレビで「That made him angry. という文は受験では『それが彼をしていからしめた』と訳さないとバツになる。そんなばかなことがあるか」といきまいていて,思わず吹き出してしまった。いったい,何時代の話をしているのだろうか。科挙に英語の試験があればそんな訳になるかもしれないけど,いまどきそんなばかげたことを教えている教師は日本じゅうどこにもいません。どうも,受験の英語は誤解にさらされているようです。

日本の語学番組の最高峰であるNHKの「ビジネス英会話」(以前は「やさしいビジネス英語」)を長年担当していらっしゃる杉田敏先生は,毎年4月の新開講に際してきまって次のように書かれていました。

番組のタイトルには「ビジネス英語」と銘打ってありますが,一般の英語とまったく異なった形態のビジネス英語というものが存在するわけではありません。どうかこの番組を英語の世界への「窓」と考えて,それを開いて,ビジネスのに関連したいろいろな場で起こっていることを吸収してみてください。

ビジネス英語を教えながら,「ビジネス英語」なるものを否定する姿勢に,逆に誠実さを感じます。僕も先生にならって,「受験英語」をひとつの「窓」として英語,あるいは語学全般,そして世界というものを考えていきたいと思っています。

 

大学受験の英語に関する理解と誤解

受験の英語に関してよく耳にする意見を分類して,ひとつずつ僕なりの意見を付しておきます。

  1. 受験の英語は文法偏重である
    僕は文法はすごく大事だという考えですが,それはともかく文法は最近の入試ではどんどん少なくなっています。早慶などのように,長文読解が中心で,文法問題が見当たらない大学もあります。
  2. 受験の英語は和訳を重視しすぎる
    日本語訳は英語力を高める上で避けて通れない迂回路であると僕は考えていますが,それは別に述べるとして,和訳問題も最近では減少傾向にあります。国公立にはまだまだ多いのですが,文脈を無視して短い個所だけを抜き出して和訳させるといった昔のような問題は減りました。
  3. 受験の英語は古い
    英語が古いとか新しいとかいう言い方があまり好きではありません。50年前の英語に今でも新鮮なものもあれば,今書かれている英語の中にも古めかしいものもあり,それらを総称して「生きた英語」と呼ぶべきでしょう。「いま」という時間の断面に言語のいろいろな地層が見えるはずです。まあ,それは置いといて,少なくとも入試で扱われている長文に関してはほとんど新しい英文で,昔の(30~40年前)の入試に顕著だった「名文」(Bertrand Russell とか Somerset Maugham とか)のたぐいは消滅したといっていいくらいです。もう少し古めでもいいのでは,と思うくらいです。
  4. 受験の英語は現実離れしていて,本物の英語と別物である
    ことばについてのテストがことばそのものとは違っているのはあたりまえ,と開き直ってもいいのですが,でもこの意見には賛成できるところも多いのです。
    あいかわらず,枝葉末節を出題する大学はたくさんあります。そんなこと知ってたからといって,英語力とは関係ないだろうという問題,いかにも問題のために作られた問題としか思えないものは,残念ながら後を絶ちません。(ただ,これはほかの学科にも言えることなので,受験の英語の問題点というより,入試というもののあり方に関係しているともいえます)
  5. けっきょく,受験の英語は役に立たない
    こういう言い方はよく耳にしますが,この言葉には「この世のどこかに,受験のような苦しい思いをしなくても,楽に役立つ英語が身に付く方法がある」という暗黙の前提が隠されているような気がします。むろんそんなものはありません。もし受験の英語が役に立たないのなら,大学や教師の側は役に立つような方向に変え,学習者側は役に立てるように努力すべきだ,という結論しか出てこないでしょう。大学に入学した後はろくに勉強しなければ,役に立たないのが当たり前です。役立てていないんですから。反面,高校生がこれだけエネルギーを費やしているものを,きちんと役立ててあげるシステムを大人が作らなければならないというもの確かです。

 

受験の英語は,英語への一つの「窓」であり,「扉」であって,それ以上でも以下でもありません。受験を過大評価することも,過小評価することも必要ないと思います。

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