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	<title>Where are we going? &#187; 文学</title>
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	<description>大学入試と英語学習のバックアップ・サイト</description>
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		<title>Cheerfulness might be a sign of ruin; while in gloom, you have some hope, your family name or yourself. (DAZAI Osamu)</title>
		<link>http://www.where-are-we-going.com/quote/2009/06/q20080629/</link>
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		<pubDate>Mon, 29 Jun 2009 05:51:14 +0000</pubDate>
		<dc:creator>rickie</dc:creator>
				<category><![CDATA[引用]]></category>
		<category><![CDATA[人生？]]></category>
		<category><![CDATA[徒然]]></category>
		<category><![CDATA[文学]]></category>

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		<description><![CDATA[「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。」（太宰治）
太宰治（1909-1948）が，書店ではブームです。今年は生誕百年で，また昨年で死後60年の著作権切れを迎えて著作権フリーになったせいか，太宰の本が本屋のあちこちに並んでいます。一般読者の中から自然に盛り上がったブームというよりも，出版界が盛り上げたいと思って仕掛けているブームのようです。
引用は，「右大臣実朝」（1943）の有名な一節。拙訳です。太宰の研究者は海外にもいるようですから，きっとどこかに定訳があるのだと思いますが，ネット上には見当たらず，それ以上探す手間を惜しんでしまいました。
いろいろ考えたのですが，結局直訳っぽくなってしまいました。 &#34;you have some hope&#34; のところが気に入りません。もっといいのないでしょうか？
このセリフは平家について述べたものですが，戦時中から戦後にかけての日本が二重写しになっているのはいうまでもないでしょう。
&#160;
太宰といえば思い出すのは，高校三年生の夏，受験勉強などそっちのけで，当時筑摩書房で出ていた太宰全集を一冊ずつ買い集めては，一日一冊ずつ読んでいた暑い暑い夏休みのことです。太宰に満腹すると，ドストエフスキー。明け方までかかって読んでは，早朝の目黒から世田谷にかけての街を一，二時間歩き回ってから床につく，という生活でした。歩き回れば，体は暑さにまみれても，頭は少し冷えるわけです。あまりにも，ひと昔前のありきたりの青年というかんじです。「暗い」といえば「暗い」のでしょうが，そんな時に上の太宰の言葉を繰り返すわけです。
&#160;
確かに明るさや燥ぎ(はしゃぎ)が病的に見える時があります。あまりにもせっぱつまってしまい，明るく振る舞うしかない，意味もなく浮かれることも，きっと誰もが経験することでしょう。燥いでいるその姿が哀れに見えることも。でも，暗さもきっと，そこに希望がほの見えることを保証はしないでしょう。救済しようのない暗さというものもきっとあるのだと思います。さいわい，そこまでの経験はないわけですが。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。」（太宰治）</p>
<p>太宰治（1909-1948）が，書店ではブームです。今年は生誕百年で，また昨年で死後60年の著作権切れを迎えて著作権フリーになったせいか，太宰の本が本屋のあちこちに並んでいます。一般読者の中から自然に盛り上がったブームというよりも，出版界が盛り上げたいと思って仕掛けているブームのようです。</p>
<p>引用は，「右大臣実朝」（1943）の有名な一節。拙訳です。太宰の研究者は海外にもいるようですから，きっとどこかに定訳があるのだと思いますが，ネット上には見当たらず，それ以上探す手間を惜しんでしまいました。</p>
<p>いろいろ考えたのですが，結局直訳っぽくなってしまいました。 &quot;you have some hope&quot; のところが気に入りません。もっといいのないでしょうか？</p>
<p>このセリフは平家について述べたものですが，戦時中から戦後にかけての日本が二重写しになっているのはいうまでもないでしょう。</p>
<p>&#160;</p>
<p>太宰といえば思い出すのは，高校三年生の夏，受験勉強などそっちのけで，当時筑摩書房で出ていた太宰全集を一冊ずつ買い集めては，一日一冊ずつ読んでいた暑い暑い夏休みのことです。太宰に満腹すると，ドストエフスキー。明け方までかかって読んでは，早朝の目黒から世田谷にかけての街を一，二時間歩き回ってから床につく，という生活でした。歩き回れば，体は暑さにまみれても，頭は少し冷えるわけです。あまりにも，ひと昔前のありきたりの青年というかんじです。「暗い」といえば「暗い」のでしょうが，そんな時に上の太宰の言葉を繰り返すわけです。</p>
<p>&#160;</p>
<p>確かに明るさや<ruby><rb>燥ぎ</rb><rp>(</rp><rt>はしゃぎ</rt><rp>)</rp></ruby>が病的に見える時があります。あまりにもせっぱつまってしまい，明るく振る舞うしかない，意味もなく浮かれることも，きっと誰もが経験することでしょう。燥いでいるその姿が哀れに見えることも。でも，暗さもきっと，そこに希望がほの見えることを保証はしないでしょう。救済しようのない暗さというものもきっとあるのだと思います。さいわい，そこまでの経験はないわけですが。</p>
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		<item>
		<title>The Remains of the Day (Kazuo Ishiguro) &#8212; paperback review</title>
		<link>http://www.where-are-we-going.com/beyond_exams/paperback_reader/2009/03/ishiguro-remains/</link>
		<comments>http://www.where-are-we-going.com/beyond_exams/paperback_reader/2009/03/ishiguro-remains/#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 13 Mar 2009 14:50:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>rickie</dc:creator>
				<category><![CDATA[英語を読む]]></category>
		<category><![CDATA[paperback review]]></category>
		<category><![CDATA[文学]]></category>

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		<description><![CDATA[
邦題 『日の名残り』｜語彙レベル★★★☆｜ストーリー★★★☆｜知的興奮度★★★☆｜前提知識★☆☆☆｜対象レベル 英検準1級以上｜ジャンル 純文学｜258p.｜英語

カズオ・イシグロはご存知だとは思いますが，現役のイギリス人作家です。生まれは日本ですが幼い頃からイギリス暮らしで，イギリス国籍を取得し，おそらく日本語もできません。ストーリーも文章も，「日本」を感じさせるものは何もないと言っていいでしょう。『日の名残り』は彼の代表作とされる小説で，アンソニー・ホプキンス主演で映画化されています。
まあ，あんまり劇的結末やらオチやらがある小説ではありませんので，ネタバレになるかどうかは気にせず書いています。気になる人はパスしてください。
&#160;

Penguin 版

舞台は1950年代イギリスの貴族の屋敷( Darlington Hall と呼ばれている。ただし，現在は Darlington 卿からアメリカ人の手に移っている) で，主人公 スティーブンス(Stevens)はそこに数十年勤める執事である。物語は，彼が休暇を取って，屋敷の所在地である Oxford からイギリスの最東端にある Cornwall に，かつて同じ屋敷で働き，今は結婚している Miss Kenton （旧姓）に会いに行く6日間の車での旅の中で進んでいくのだか，しかしほんとうの旅はむしろ彼の回想の中で進む。Darlington卿が健在で，StevensやMiss Kentonが忙しく働いていた戦間期のイギリスである。それは大英帝国の貴族的精神が最後の輝きをはなっていた時代でもある。小説は，その時代についてのStevensの視点からの回想を中心に展開する。
主人公Stevensは，執事という職にすべてを捧げている男で，一切の感情を表に出さないし，表に出さないことに誇りを持。雇い主であるDarlington卿は，第一次大戦の敗戦国たるドイツが，戦後賠償の支払いや経済破綻で苦しむのを見て，英米仏などの要人を屋敷に集めて調停をはかったりする。Stevensは，主人のこうした努力を支え，自らも大義と歴史に参画できることに無情の歓びを感じる。同じく執事を務めていた父親の死にまつわる動揺や，自分の Miss Kenton への想いを押し殺しながら，「執事」を務めあげる。

Faber&#038;Faber 版

たとえば1923年のある日。この日は，屋敷内にヨーロッパ各国とアメリカの要人を集めてドイツ救済に関する重要な会議がDarlington卿によって主催される。階上の一室では，Stevensの父親の容態が悪化する。Miss KentonとStevensは，いつもながら感情的に行き違ったままである。会議では説得のむずかしそうに思えたフランス代表がおしだまったまま，平穏に終わりそうになる。しかし，最後にフランス代表はドイツ救済に異を唱えるのではなく，裏で会議の進展を妨害しようとしていたアメリカ人に非難を浴びせ，さながら古き良きヨーロッパによる新興アメリカの糾弾のセレモニーの様相を呈する（歴史の後知恵では，このリアリスティックなアメリカ人が正しいのだが）。その混乱のなかで，Stevensにはさらに，Darlingtonの友人の息子（結婚を控えた）に，「こどもはどうして生まれるのか」(?)という知識(the facts of life)を教える任務が課されるというコミカルなシーンがはさまる。そして，会議のさなかにStevensの父は死ぬが，息子は会議の世話の責任を最後まで果たす。彼はそれを「勝利」と呼ぶ。


Let me make clear that when I say the conference of 1923, and that night in particular, constituted a turning point in my professional development, I am speaking [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="bookdata">
<p>邦題 『日の名残り』｜語彙レベル★★★☆｜ストーリー★★★☆｜知的興奮度★★★☆｜前提知識★☆☆☆｜対象レベル 英検準1級以上｜ジャンル 純文学｜258p.｜英語</p>
</div>
<p>カズオ・イシグロはご存知だとは思いますが，現役のイギリス人作家です。生まれは日本ですが幼い頃からイギリス暮らしで，イギリス国籍を取得し，おそらく日本語もできません。ストーリーも文章も，「日本」を感じさせるものは何もないと言っていいでしょう。『日の名残り』は彼の代表作とされる小説で，アンソニー・ホプキンス主演で映画化されています。</p>
<p>まあ，あんまり劇的結末やらオチやらがある小説ではありませんので，ネタバレになるかどうかは気にせず書いています。気になる人はパスしてください。</p>
<p>&#160;</p>
<div class="amazonlink">
<p>Penguin 版</p>
<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=ysnrrkmr-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;asins=1405880449&#038;fc1=000000&#038;IS2=1&#038;lt1=_blank&#038;m=amazon&#038;lc1=0000FF&#038;bc1=000000&#038;bg1=FFFFFF&#038;f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></div>
<p>舞台は1950年代イギリスの貴族の屋敷( Darlington Hall と呼ばれている。ただし，現在は Darlington 卿からアメリカ人の手に移っている) で，主人公 スティーブンス(Stevens)はそこに数十年勤める執事である。物語は，彼が休暇を取って，屋敷の所在地である Oxford からイギリスの最東端にある Cornwall に，かつて同じ屋敷で働き，今は結婚している Miss Kenton （旧姓）に会いに行く6日間の車での旅の中で進んでいくのだか，しかしほんとうの旅はむしろ彼の回想の中で進む。Darlington卿が健在で，StevensやMiss Kentonが忙しく働いていた戦間期のイギリスである。それは大英帝国の貴族的精神が最後の輝きをはなっていた時代でもある。小説は，その時代についてのStevensの視点からの回想を中心に展開する。</p>
<p>主人公Stevensは，執事という職にすべてを捧げている男で，一切の感情を表に出さないし，表に出さないことに誇りを持。雇い主であるDarlington卿は，第一次大戦の敗戦国たるドイツが，戦後賠償の支払いや経済破綻で苦しむのを見て，英米仏などの要人を屋敷に集めて調停をはかったりする。Stevensは，主人のこうした努力を支え，自らも大義と歴史に参画できることに無情の歓びを感じる。同じく執事を務めていた父親の死にまつわる動揺や，自分の Miss Kenton への想いを押し殺しながら，「執事」を務めあげる。</p>
<div class="amazonlink">
<p>Faber&#038;Faber 版</p>
<p><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=ysnrrkmr-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;asins=0571225381&#038;fc1=000000&#038;IS2=1&#038;lt1=_blank&#038;m=amazon&#038;lc1=0000FF&#038;bc1=000000&#038;bg1=FFFFFF&#038;f=ifr" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></div>
<p>たとえば1923年のある日。この日は，屋敷内にヨーロッパ各国とアメリカの要人を集めてドイツ救済に関する重要な会議がDarlington卿によって主催される。階上の一室では，Stevensの父親の容態が悪化する。Miss KentonとStevensは，いつもながら感情的に行き違ったままである。会議では説得のむずかしそうに思えたフランス代表がおしだまったまま，平穏に終わりそうになる。しかし，最後にフランス代表はドイツ救済に異を唱えるのではなく，裏で会議の進展を妨害しようとしていたアメリカ人に非難を浴びせ，さながら古き良きヨーロッパによる新興アメリカの糾弾のセレモニーの様相を呈する（歴史の後知恵では，このリアリスティックなアメリカ人が正しいのだが）。その混乱のなかで，Stevensにはさらに，Darlingtonの友人の息子（結婚を控えた）に，「こどもはどうして生まれるのか」(?)という知識(the facts of life)を教える任務が課されるというコミカルなシーンがはさまる。そして，会議のさなかにStevensの父は死ぬが，息子は会議の世話の責任を最後まで果たす。彼はそれを「勝利」と呼ぶ。</p>
<blockquote>
<div class="engp">
<p>Let me make clear that when I say the conference of 1923, and that night in particular, constituted a turning point in my professional development, I am speaking very much in terms of my own more humble standard. Even so, if you consider the pressures contingent on me that night, you may not think I delude myself unduly if I go so far as to suggest that I did perhaps display, in the face of everything, at least in some modest degree a &#8216;dignity&#8217; worthy of someone like Mr Marshall &#8212; or come to that, my father. Indeed, why should I deny it? For all its sad associations, whenever I recall that evening today, I find I do so with a large sense of triumph.</p>
</div>
<p>「ただこれだけははっきりさせておこう。1923年の会議，特にあの夜は，わたしのプロとしての成長において転換点をなしている，とわたしが言う時，わたしなりのつつましい基準で述べているにすぎないのだ。とは言っても，あの夜，わたしに降りかかった重圧を考えれば，諸事に直面しても，わたしがマーシャル氏（名執事と呼ばれている人）や，さらにはわたしの父のような人こそふさわしい『威厳』という資質をわたしもまた少なくとも控えめな程度には示すことができたのだとまで言ったとしても，過度な思い込みだとは思われないだろう。いや，どうしてそれを否定できようか。あの晩のことを今日思い出すと，悲しい連想の数々にもかかわらず，勝利したのだという気分がいっしょにあふれかえってくるのだ。」</p>
</blockquote>
<p>&#160;</p>
<p>この小説は全編がStevensという視点から語られているのだが，この語り手は，「信頼できない語り手」という手法に属する。この小説の場合，語り手は事実を偽っているわけではない。ただ，事実の解釈が根本的にまちがっているのだ。彼の Miss Kenton への想いは紛れもなく恋愛感情なのだが，彼はそれを自らに対して許すことも認めることもしない。Darlington卿の行動は親ナチス・反ユダヤ的になっていき，彼はその間違いにうすらうすら気づいているのに「執事」としての立場に隠れるだけでなく，気づいていることにも気づいていない姿勢をとる。読み手は語り手に対して，そういう態度，そういうことば，そういう解釈はないだろう，イライラしてくるのだが，そのイライラこそが作者の意図したことであろう。</p>
<p>Miss Kentonは，結婚して屋敷を去り，30年の月日が経過した後，つまりこの物語が語られている時点に再会するが，そこでもStevensは踏み出すことを自らに禁じたまま，最後の別離となる。</p>
<blockquote>
<div class="engp">
<p>At first, my mood was &#8212; I do not mind admitting it &#8212; somewhat downcast. But then as I continued to stand there&lt; a curious thing began to take place; that is to say, a deep feeling of triumph started to well up within me.</p>
</div>
<p>「はじめわたしの気分は，いくぶんの落胆であったし，それを認めるのにやぶさかではない。しかしそれから，そのままそこに立っていると，ある奇妙なものが生じ始めた。つまり，深いところから勝利の感情がわたしの中に湧き上がってきたのだ。」</p>
</blockquote>
<p>&#160;</p>
<p>英語の読みやすさという点でこの本を評価するのは，なかなかむずかしいような気がする。語り手は，もったいぶった，こっけいなほど凝った言い回しを駆使する。それは一昔もふた昔も前の大学入試のイギリス英語（ Russell とかMaughamとか Lynd とか）やこみ入った構文に慣れ親しんだ記憶のある人には，むしろ懐かしく楽しめるかもしれない。逆に，現代の口語的アメリカ英語しか英語だと思っていない向きには，むずかしく見えるかもしれない。たしか斎藤兆史氏は，この小説を現代の名文に挙げていたが，名文かどうかはともかく名人芸の英文ではあると思う。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチの英語解説</title>
		<link>http://www.where-are-we-going.com/beyond_exams/paperback_reader/2009/02/haruki-speech-in-jerusalem/</link>
		<comments>http://www.where-are-we-going.com/beyond_exams/paperback_reader/2009/02/haruki-speech-in-jerusalem/#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 20 Feb 2009 08:51:19 +0000</pubDate>
		<dc:creator>rickie</dc:creator>
				<category><![CDATA[英語の作品を読もう]]></category>
		<category><![CDATA[英語の落としもの]]></category>
		<category><![CDATA[英語を読む]]></category>
		<category><![CDATA[スピーチ]]></category>
		<category><![CDATA[文学]]></category>
		<category><![CDATA[英語サンプリング]]></category>
		<category><![CDATA[英語解説]]></category>

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		<description><![CDATA[村上春樹がイスラエルで行った「エルサレム賞」受賞スピーチを取り上げます。英語のスピーチです。全文と翻訳を載せたいところですが，現役作家のオリジナルですから，版権の問題がありそうですので解説だけを載せることにします。原文については，イスラエルの新聞社のサイトにあります。
&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160; Always on the side of the egg (by Haruki Murakami) 
便宜上4つのパートに分けました。
&#160;
PART I

「小説家はプロの嘘つきだ」というところから，スピーチは始まる。だが，この「嘘つき」は巧みなウソであればあるほど賞賛される。なぜか。真実をそのまま正確に描きとることは困難で，それゆえ小説という手段で真実を「おびき寄せる」ことで，より真実に近づくことができるからだ。


which is to say &#8230;&#160;  ― 「それはすなわち・・・」 that is to say 「すなわち，つまり」 の that を関係代名詞に変えたもの。 
spinner of lies&#160;  ― 「嘘をつむぐ人」&#160;&#160; spin 「つむぐ」 
S is not the only one who &#8230;&#160;  ― 「・・・するのはSだけではない」 この onlyは「唯一の」という形容詞 
on occasion&#160;  ― 「時々」 
as [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>村上春樹がイスラエルで行った「エルサレム賞」受賞スピーチを取り上げます。英語のスピーチです。全文と翻訳を載せたいところですが，現役作家のオリジナルですから，版権の問題がありそうですので解説だけを載せることにします。原文については，イスラエルの新聞社のサイトにあります。</p>
<p>&#160;&#160;&#160;&#160;&#160;&#160; <a href="http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html" target="_blank">Always on the side of the egg</a> (by Haruki Murakami) </p>
<p>便宜上4つのパートに分けました。</p>
<p>&#160;</p>
<h4>PART I</h4>
<div class="dotted-block">
<p>「小説家はプロの嘘つきだ」というところから，スピーチは始まる。だが，この「嘘つき」は巧みなウソであればあるほど賞賛される。なぜか。真実をそのまま正確に描きとることは困難で，それゆえ小説という手段で真実を「おびき寄せる」ことで，より真実に近づくことができるからだ。</p>
</div>
<ul>
<li><span class="blueletters">which is to say &#8230;&#160; </span> ― 「それはすなわち・・・」 that is to say 「すなわち，つまり」 の that を関係代名詞に変えたもの。 </li>
<li><span class="blueletters">spinner of lies&#160; </span> ― 「嘘をつむぐ人」&#160;&#160; spin 「つむぐ」 </li>
<li><span class="blueletters">S is not the only one who &#8230;&#160; </span> ― 「・・・するのはSだけではない」 この onlyは「唯一の」という形容詞 </li>
<li><span class="blueletters">on occasion&#160; </span> ― 「時々」 </li>
<li><span class="blueletters">as do used car salesmen</span> ― 「中古車のセールスマンと同じように」&#160; do (=tell lies) と salesmen が倒置されている。 as 節では時々倒置が起きる。中古車のセールスマン（時には弁護士も）はアメリカなどではよく嘘をつく，口先だけ，の典型として扱われる </li>
<li><span class="blueletters">in that S + V&#160; </span> ― 「・・・という点で」 </li>
<li><span class="blueletters">Indeed, the bigger and better his lies and the more ingeniously he creates them, the more he is likely to be praised by the public and the critics.&#160; </span> ― 「それどころか，嘘が大きくうまければうまいほど，巧みに作られていればいるほど，大衆や批評家にほめられるだろう」&#160;&#160; The + 比較級, the + 比較級 「&#8230;すればするほど～」の形だが，比較級が合計で4つある。この公式では，前半と後半の切れ目はふつう and ではなく，カンマになることに注意。 The <strong>X</strong>er and the <strong>Y</strong>er, the <strong>Z</strong>er. は「XとYすればするほど，Zになる」， The <strong>X</strong>er, the <strong>Y</strong>er and the <strong>Z</strong>er. なら「Xすればするほど，YにそしてZになる」 </li>
<li><span class="blueletters">Why should that be?&#160;&#160; </span> ― 「いったいどうしてこういうことになるのか」 疑問文（特にwhyやhow）中のshouldは，意外感を強めるはたらき。強いて訳せば「いったいぜんたい」 </li>
<li><span class="blueletters">namely&#160; </span> ― 「つまり」 (= that is to say) </li>
<li><span class="blueletters">that by telling &#8230;&#160;&#160; </span> ― この that は「&#8230;ということ」の接続詞。ここではなくてもいいが，後の文に which ～ true までの挿入が入って複雑なのでつけている。 </li>
<li><span class="blueletters">bring a truth out&#160;&#160; </span> ― 「一つの真実を引き出す」 the truth でなく a truth （いろいろあるかもしれない真実の一つ）と言っていることに注意。 </li>
<li><span class="blueletters">virtually impossible&#160; </span> ― 「ほとんど不可能で」 virtually = practically = almost </li>
<li><span class="blueletters">This is why &#8230;&#160;&#160; </span> ― 「こういうわけで・・・」 why は関係副詞 </li>
<li><span class="blueletters">grab its tail by luring the truth from its hiding place,&#160; </span> ― 「真実を隠れ家からおびき寄せてしっぽを捕まえる」 lure 「おびき寄せる，誘惑する」 by 以下に luring, transferring, replacing という3つの動名詞がつづく </li>
<li><span class="blueletters">replace A with B </span> ― 「AをBと取り替える，置き換える」 </li>
<li><span class="blueletters">we first have to clarify where the truth lies within us. </span> ― 「まず，わたしたちの中のどこにその真実が潜んでいるのかを明らかにしなければならない」 </li>
<li><span class="blueletters">qualification </span> ― 「資格，適性」 </li>
</ul>
<p>&#160;</p>
<h4>PART II</h4>
<div class="dotted-block">
<p>ウソと真実の話は，次の本題が自分の真実の声であることを言うための前置きだった。</p>
<p>多くの反対にもかかわらず，この式に出席しているのは自分で直接この現実に触れてみたかったからだ。語りかけたかったからだ。といっても，政治的メーセージを送ろうというわけではない。それが次のような，自分の小説家的な核心に関わるからだ。</p>
<blockquote class="dotted-block"><p class="dotted-block">&quot;Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg.&quot;</p>
<p>「高く，堅固な壁と，それにぶつかれば割れてしまう卵の2つのうちで，わたしは常に卵の側に立つ」</p>
</blockquote>
<p>わたしはたとえ「壁」の方が正しく「卵」の方が誤っていたとしても，「卵」の側に立つ。</p>
<p>このメタファーは，「壁」が戦闘を仕掛ける国家，「卵」が殺されていく民衆を意味するだけではなく，「システム」と「個人」との関係をも意味する。「システム」はわたしたちを守りもするし，殺し殺させもする。わたしは「個人」のかけがえのなさに光を当てつづける。</p>
</div>
<ul>
<li><span class="blueletters">engage in </span> ― 「～に従事する」 </li>
<li><span class="blueletters">today happens to be one of them </span> ― 「今日はたまたまそういう一日だ」 them は「わたしが嘘をつく仕事をしていない，年に数日しかない日」 </li>
<li><span class="blueletters">A fair number of people&#160; </span> ― 「かなりの数の人々」 </li>
<li><span class="blueletters">instigate a boycott&#160; </span> ― 「ボイコットをよびかける」 instigate 「そそのかす，扇動する」 </li>
<li><span class="blueletters">the fierce battle that was raging in Gaza </span> ― 「ガザで激しさを増している戦闘」 rage 「荒れ狂う」 </li>
<li><span class="blueletters">The UN&#160; </span> ― = the United Nations 「国際連合」 </li>
<li><span class="blueletters">the blockaded Gaza City </span> ― 「封鎖されたガザ市」 </li>
<li><span class="blueletters">Any number of times&#160; </span> ― 「何度も」 </li>
<li><span class="blueletters">notice of the award </span> ― 「受賞の知らせ」 </li>
<li><span class="blueletters">ask oneself whether</span> ― 「自問する，～ではないのかと考える」 </li>
<li><span class="blueletters">the impression that I supported one side in the conflict </span> ― 「争いの一方に加担したのではないかという印象」 </li>
<li><span class="blueletters">endorse </span> ― 「支持する，認める」 </li>
<li><span class="blueletters">a nation that chose unleash its overwhelming military power </span> ― 「圧倒的軍事力を行使することを選択した国家」 もちろん，イスラエルのこと。 unleash 「(押さえていたものを)解き放つ，爆発させる」 </li>
<li><span class="blueletters">Neither, of course, do I wish to see my books subjected to a boycott </span> ― 「むろん，わたしの本がボイコットの憂き目にあうのを見たくもない」Neither + V + S&#160; 「Sも・・・ない」&#160; subjected to ～ 「～にさらされて，～を受けて」 see + O + C 「OがCなのを見る」 </li>
<li><span class="blueletters">all too many people </span> ― 「あまりに多くの人たち」 all too ～ 「あまりに～すぎる」 </li>
<li><span class="blueletters">It&#8217;s in my nature, you might say, as a novelist. </span> ― 「それは言ってみれば，小説家としてのわたしの性分だ」 </li>
<li><span class="blueletters">a special breed </span> ― 「特殊な生き物」 breed 「（生物の）品種」 </li>
<li><span class="blueletters">stay away </span> ― 「近づかない，遠ざかっている」 </li>
<li><span class="blueletters">I chose to speak to you rather than to say nothing. </span> ― 「何も言わないよりも，語りかけることを選択した」 </li>
<li><span class="blueletters">This is not to say that&#160; </span> ― 「だからといって，～というわけではない」 </li>
<li><span class="blueletters">deliver a political message </span> ― 「政治的メーセージを発信する」 deliver 「送り届ける」 </li>
<li><span class="blueletters">It is left to A to V&#160; </span> ― 「VすることはAにゆだねられている」 </li>
<li><span class="blueletters">the form in which he or she will convey those judgments to others </span> ― 「彼または彼女（作家）が他人にそうした判断を伝える方法」 </li>
<li><span class="blueletters">transform them into stories </span> ― 「それら（の判断）を小説という形に変える」 transform A into B&#160; 「AをBに変える」 </li>
<li><span class="blueletters">the surreal</span> ― 「超現実的なもの」 the + 形容詞 「～なこと，もの」 </li>
<li><span class="blueletters">keep in mind </span> ― 「覚えておく，銘記する」 </li>
<li><span class="blueletters">I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall </span> ― 「それ（わたしのモットー）を紙に書き付けて壁に貼りつけるなんてことまでやったことはない」 go so far as to V&#160; 「Vすることさえする」 </li>
<li><span class="blueletters">carved into the wall of my mind</span> ― 「心の壁に刻みつけられて」 </li>
<li><span class="blueletters">&quot;Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg.&quot; </span> ― 「高く，堅固な壁と，それにぶつかれば割れてしまう卵の2つのうちで，わたしは常に卵の側に立つ」 </li>
<li><span class="blueletters">no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. </span> ― 「壁がどれほど正しかろうと，卵がどれほど誤っていようと，わたしは卵とともにある」 </li>
<li><span class="blueletters">If there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be?</span> ― 「理由は何であれ，壁の側に立って作品を書く小説かなんてものがいたとして，そんな小説に何の価値があるだろうか？」 </li>
<li><span class="blueletters">bombers </span> ― 「爆撃機」 </li>
<li><span class="blueletters">white phosphorus shells </span> ― 「白燐弾」 ガザ攻撃でイスラエルが使用したといわれる兵器。毒性が強く，国際法上禁止されるべきとの議論が強い。 </li>
</ul>
<div style="text-align: center;"><object width="480" height="295"><param name="movie" value="http://www.youtube.com/v/UVY4NUKowzg&#038;hl=en&#038;fs=1"></param><param name="allowFullScreen" value="true"></param><param name="allowscriptaccess" value="always"></param><embed src="http://www.youtube.com/v/UVY4NUKowzg&#038;hl=en&#038;fs=1" type="application/x-shockwave-flash" allowscriptaccess="always" allowfullscreen="true" width="480" height="295"></embed></object></div>
<ul>
<li><span class="blueletters">Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell </span> ― 「わたしたちひとりひとりが，もろい殻につつまれた，取り替えのきかないただ一つの魂だ」 </li>
<li><span class="blueletters">be true of ～ </span> ― 「～にあてはまる」 </li>
<li><span class="blueletters">to a greater or lesser degree </span> ― 「多かれ少なかれ」 to a ～ degree 「～の程度まで」 </li>
<li><span class="blueletters">The System </span> ― 「システム，体制，社会秩序を形成する機構」 </li>
<li><span class="blueletters">be supposed to V </span> ― 「Vすることになっている」（そういう建前になっている，ということ） </li>
<li><span class="blueletters">it takes on a life of its own </span> ― 「それ（システム）は，それ自体の生命を持つようになる」 take on ～ 「～を帯びる」 </li>
<li><span class="blueletters">that is to bring the dignity of the individual soul to the surface and shine a light upon it. </span> ― 「それ（わたしが小説を書く理由）は個人の魂の尊厳を浮かび上がらせ，それに光を当てることだ」 </li>
<li><span class="blueletters">sound an alarm </span> ― 「警報を鳴らす」 </li>
<li><span class="blueletters">keep a light trained on The System </span> ― 「システムに光を当て続ける」 keep O + C 「OをCのままにする」 train A on B 「A（の照準）をBに向ける」 </li>
<li><span class="blueletters">prevent it from tangling our souls in its web </span> ― 「それ（システム）によって，わたしたちの魂が網の目に絡め取られないようにする」 prevent O from Ving 「OがVするのを妨げる，はばむ」 tangle 「からめる，まきこむ」 </li>
<li><span class="blueletters">concoct</span> ― 「調合する」 </li>
<li><span class="blueletters">fictions with utter seriousness </span> ― 「きわめて真摯なフィクション」 </li>
</ul>
<p>&#160;</p>
<h4>PART III</h4>
<div class="dotted-block">
<p>話題は，亡き父の話へ。昨年物故した父は教師兼僧侶でもあり，戦時中は中国戦線に投入された経験を持つ。戦後，彼は毎朝読経をしていた。かつての敵と味方の死者たちを弔うためだという。今も父のその後ろ姿が目に焼き付いている。</p>
</div>
<ul>
<li><span class="blueletters">graduate school </span> ― 「大学院」 </li>
<li><span class="blueletters">was drafted into the army&#160; </span> ― 「陸軍に招集された」 draft 「招集する」 </li>
<li><span class="blueletters">offering up long, deeply-felt prayers at the Buddhist altar in our house </span> ― 「我が家の仏壇の前で，長い哀切に満ちた読経をささげる」 deeply felt 「痛切な」（死者の弔いの時に使われることが多い表現） prayer 「祈り」 altar 「祭壇」 </li>
<li><span class="blueletters">I seemed to feel the shadow of death hovering around him </span> ― 「彼（父）のまわりに死の影が漂っているのを感じ取れる気がした」 </li>
<li><span class="blueletters">the presence of death that lurked about him remains in my own memory </span> ― 「彼（父）のまわりに潜んでいた死の存在が，今もわたしの記憶に残っている」 </li>
<li><span class="blueletters">It is one of the few things I carry on from him </span> ― 「それは，わたしが彼から引き継いだ数少ないものの一つである」 </li>
</ul>
<p>&#160;</p>
<h4>PART IV</h4>
<div class="dotted-block">
<p>そしてまとめ。「システム」に対して，わたしたち個人は勝ち目はない。ただ，個人というものが，自分も他者もかけがえがないものなのだと信じ続けることしかできない。希望は存在する。</p>
</div>
<ul>
<li><span class="blueletters">individuals transcending nationality and race and religion </span> ― 「国籍，民族，宗教を超越した個人」 transcend 「超越する」 </li>
<li><span class="blueletters">To all appearances </span> ― 「どうみても」 </li>
<li><span class="blueletters">If we have any hope of victory at all </span> ― 「少しでも勝利の希望があるとするなら」 if + at all 「そもそも（かりに少しでも）&#8230;なら」 </li>
<li><span class="blueletters">it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others&#8217; souls and from the warmth we gain by joining souls together </span> ― 「それ（勝利の希望）は，わたしたちが自分と他者の魂の独自性，かけがえのなさを信じること，魂と魂が結びつくことで得られる温もりからやって来る」 </li>
<li><span class="blueletters">Take a moment to think about this </span> ― 「少しこれについて考えてみてください」 直訳は「これについて考えることに，少しの時間をかけてください」 </li>
<li><span class="blueletters">tangible </span> ― 「てごたえのある，確固とした」 </li>
<li><span class="blueletters">exploit </span> ― 「搾取する，利用する」 </li>
<li><span class="blueletters">I am grateful to have been awarded the Jerusalem Prize </span> ― 「エルサレム賞をいただいてうれしく思います」 be grateful to V 「Vしてうれしく思う，ありがたく思う」 </li>
</ul>
<p>&#160;</p>
<p>エルサレム賞受賞とイスラエル訪問に関しては，周知の通り多くの批判があります。村上自身も，受賞と訪問が持つ政治的意味（そしてあえてイスラエル批判を受け入れる自由で寛容なイスラエルというイメージ作りも含め）を熟慮したことでしょう。その上で彼はただ「語りかける」ことを選択したのだと思います。イスラエルという「壁」を批判するというよりも（ハマスもまた「壁」であろう），「ひとり」（ガザ市民だけでなく，イスラエル市民も）を見つめたいという，ある意味で村上の「オウム事件」の際の立場に通じる想いに発する行動でしょう。</p>
<p>村上の直接の社会的発言は，「オウム事件」以来のことですが，ある意味でわかりにくく，歯切れが悪く，「甘い」といえば甘いのですが，わたしはそれが彼の良さでもあると思っています。彼は社会的発言に際して既存の言い回し，手垢のついた言葉を使うまいと決意しているようです。そしてそれが「わかりにくさ」「歯切れの悪さ」を生んでいるように見えます。「システム」と「個人」という対比は，確かに手垢がついていなくもないですが，今の時点で紡ぎ出せる精いっぱいのタームであるのかもしれません。</p>
<p>イスラエル訪問というあまりプラスにならない選択を彼はあえてしました。プラスにならないからこそ，そう選択したのでしょう。彼のスピーチも小説家としてのアンガジュマン的発言というより，たまたま小説家であった「ひとり」のつぶやきに似ているような気がします。</p>
<p>決して強いメッセージでもなく，心揺さぶるスピーチというわけでもないですが，「ひとり」の人間の誠実なことばを感じることはできます。</p>
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		</item>
		<item>
		<title>ノーベル賞2008の狂騒</title>
		<link>http://www.where-are-we-going.com/as_time_goes_by/2008/10/nobelprize2008-1/</link>
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		<pubDate>Sat, 11 Oct 2008 03:01:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>rickie</dc:creator>
				<category><![CDATA[社会・時事]]></category>
		<category><![CDATA[雑記]]></category>
		<category><![CDATA[徒然]]></category>
		<category><![CDATA[文学]]></category>

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		<description><![CDATA[ノーベル平和賞の受賞者が決まり，あとは経済学賞を残すのみになった。複数の日本人受賞者が出たために，今年は大騒ぎだ。
文学賞発表の時は，ノーベル財団のオフィシャルサイトである nobelprize.org で，発表のライブ中継を見てしまった。
定刻を1分ぐらい過ぎてから，紙切れを持った紳士が白い扉を開けて会見場へ入ってきて，すぐその場で立ったまま，前置きもなく「今年のノーベル賞文学受賞者は．．．」と切り出す。発表の瞬間は全世界からのアクセスが殺到したためか，ストリーミングが途切れがちで聞き取りにくく英語ではなくスウェーデン語のようだった。だが聞こえてきた名前は HARUKI MURAKAMI ではなく，Le Cl&#233;zio であることはすぐにわかった。名前が挙がった瞬間，会見場には8割方の「オー」という失望の声と，その中に少しの歓声が混じる。フランス人らしい女性記者が満面に笑みをたたえて小躍りしていた。村上春樹ファンとしては，そこでストリーミングを切った。
ル・クレジオの名前は特にフランスのメディアでは事前にあがっていた。アメリカのメディアではPhilip Roth, Don DeLillo, Joyce Carol Oates といったところ。各国とも村上の名前も入っている。イギリスの賭け屋の予想ではイタリアの誰とか氏が1位で，村上は6位だったはず。
&#160;
南部・益川・小林氏の物理学賞は，南部氏の国籍がアメリカ国籍であることがあまり話題にならなかった。新聞では「日本人3人」が見出しに大書されていたが，NY Times や London Times では「アメリカ人1人と日本人2人」（イギリスでは順序が逆だったかも）という見出しだ。読売新聞はNY Times の記事に「アメリカ人1人などという記事さえ出た」と書き，なんかNY Timesの方が間違っているかのようであった。
上記のnobelprize.org には，過去の受賞者一覧に国籍は記されていない。ノーベル賞は国ではなく個人に与えられるものだと考えれば（そのとおりだが）国籍など無意味だが，「日本人3人」を強調すること自体，その考えからははみ出している。フランス国籍の高行健がノーベル文学賞を受賞した時，「中華民族初のノーベル賞受賞者」というニュースが中国では歓びを持って迎えられたと聞いて，わかるような，それでも「ちょっとちがうんじゃないの」というような気持ちがしたのだが，ことは日本でも同じだった。
&#160;
確かに，ノーベル賞受賞者の数は国の学術的水準について幾許かを語ってはいるだろうから意味がないわけではない。平和賞や経済学賞は批判や議論の余地が多く，また文学賞はそもそも存在意義があるのだろうかとも思うが，わたしが門外漢のせいか，自然科学系についてはノーベル賞の権威はそれほど疑っていない。文科省には&#215;&#215;年までに□□人の受賞者を出すことという目標があるらしいが，まあ理解はできる。（でも，ノーベル賞を取らせる教育って，ありうるのか？）だから，国別受賞者数をうんぬんすることもそんなに強く批判する気にはならないが，でもちょっと騒ぎすぎではある。自戒も入っていますがね。経済学賞のMASAHIKO AOKI もいつか取ってほしいし。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ノーベル平和賞の受賞者が決まり，あとは経済学賞を残すのみになった。複数の日本人受賞者が出たために，今年は大騒ぎだ。</p>
<p>文学賞発表の時は，ノーベル財団のオフィシャルサイトである nobelprize.org で，発表のライブ中継を見てしまった。</p>
<p>定刻を1分ぐらい過ぎてから，紙切れを持った紳士が白い扉を開けて会見場へ入ってきて，すぐその場で立ったまま，前置きもなく「今年のノーベル賞文学受賞者は．．．」と切り出す。発表の瞬間は全世界からのアクセスが殺到したためか，ストリーミングが途切れがちで聞き取りにくく英語ではなくスウェーデン語のようだった。だが聞こえてきた名前は HARUKI MURAKAMI ではなく，Le Cl&#233;zio であることはすぐにわかった。名前が挙がった瞬間，会見場には8割方の「オー」という失望の声と，その中に少しの歓声が混じる。フランス人らしい女性記者が満面に笑みをたたえて小躍りしていた。村上春樹ファンとしては，そこでストリーミングを切った。</p>
<p>ル・クレジオの名前は特にフランスのメディアでは事前にあがっていた。アメリカのメディアではPhilip Roth, Don DeLillo, Joyce Carol Oates といったところ。各国とも村上の名前も入っている。イギリスの賭け屋の予想ではイタリアの誰とか氏が1位で，村上は6位だったはず。</p>
<p>&#160;</p>
<p>南部・益川・小林氏の物理学賞は，南部氏の国籍がアメリカ国籍であることがあまり話題にならなかった。新聞では「日本人3人」が見出しに大書されていたが，NY Times や London Times では「アメリカ人1人と日本人2人」（イギリスでは順序が逆だったかも）という見出しだ。読売新聞はNY Times の記事に「アメリカ人1人などという記事さえ出た」と書き，なんかNY Timesの方が間違っているかのようであった。</p>
<p>上記のnobelprize.org には，過去の受賞者一覧に国籍は記されていない。ノーベル賞は国ではなく個人に与えられるものだと考えれば（そのとおりだが）国籍など無意味だが，「日本人3人」を強調すること自体，その考えからははみ出している。フランス国籍の高行健がノーベル文学賞を受賞した時，「中華民族初のノーベル賞受賞者」というニュースが中国では歓びを持って迎えられたと聞いて，わかるような，それでも「ちょっとちがうんじゃないの」というような気持ちがしたのだが，ことは日本でも同じだった。</p>
<p>&#160;</p>
<p>確かに，ノーベル賞受賞者の数は国の学術的水準について幾許かを語ってはいるだろうから意味がないわけではない。平和賞や経済学賞は批判や議論の余地が多く，また文学賞はそもそも存在意義があるのだろうかとも思うが，わたしが門外漢のせいか，自然科学系についてはノーベル賞の権威はそれほど疑っていない。文科省には&#215;&#215;年までに□□人の受賞者を出すことという目標があるらしいが，まあ理解はできる。（でも，ノーベル賞を取らせる教育って，ありうるのか？）だから，国別受賞者数をうんぬんすることもそんなに強く批判する気にはならないが，でもちょっと騒ぎすぎではある。自戒も入っていますがね。経済学賞のMASAHIKO AOKI もいつか取ってほしいし。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>死ぬまでに読まなくていい10冊の本</title>
		<link>http://www.where-are-we-going.com/bookish_life/2008/09/books-not-to-read/</link>
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		<pubDate>Sat, 20 Sep 2008 09:12:50 +0000</pubDate>
		<dc:creator>rickie</dc:creator>
				<category><![CDATA[いろんな本]]></category>
		<category><![CDATA[文学]]></category>
		<category><![CDATA[書評]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.where-are-we-going.com/?p=445</guid>
		<description><![CDATA[Times (London) に載っている。
&#8594;&#160;&#160; 10 Books Not To Read Before You Die
&#160;
10: Ulysses &#8211; James Joyce
9: Lord of the Rings &#8211; J R R Tolkien 
8: For Whom the Bell Tolls &#8211; Ernest Hemingway
7: &#192; la Recherche du Temps Perdu &#8211; Marcel Proust
6: The Dice Man &#8211; Luke Reinhart 
5: Fear and Loathing in Las Vegas [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><em>Times</em> (London) に載っている。</p>
<p>&#8594;&#160;&#160; <a href="http://entertainment.timesonline.co.uk/tol/arts_and_entertainment/books/book_extracts/article4773601.ece?token=null&amp;offset=0&amp;page=1" target="_blank">10 Books Not To Read Before You Die</a></p>
<p>&#160;</p>
<p>10: Ulysses &#8211; James Joyce</p>
<p>9: Lord of the Rings &#8211; J R R Tolkien </p>
<p>8: For Whom the Bell Tolls &#8211; Ernest Hemingway</p>
<p>7: &#192; la Recherche du Temps Perdu &#8211; Marcel Proust</p>
<p>6: The Dice Man &#8211; Luke Reinhart </p>
<p>5: Fear and Loathing in Las Vegas &#8211; Hunter S Thompson</p>
<p>4: The Beauty Myth &#8211; Naomi Wolff </p>
<p>3: War and Peace &#8211; Leo Tolstoy </p>
<p>2: The Iliad &#8212; Homer </p>
<p>1: Pride and Prejudice &#8211; Jane Austen</p>
<p>&#160;</p>
<p>基本的には，長さに比してストーリーに起伏の少ないものが選ばれてるような気がする。5, 6&#160; あたりは日本ではほとんど無名に近い。</p>
<p>今考えたが，起伏/長さ 比 というのは何かの尺度になるかしら。</p>
<p>UD/L ratio ( ups and downs / length ratio )。だめか。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>The New York Trilogy (Paul Auster) &#8212; paperback review</title>
		<link>http://www.where-are-we-going.com/beyond_exams/paperback_reader/2008/05/auster-newyork3/</link>
		<comments>http://www.where-are-we-going.com/beyond_exams/paperback_reader/2008/05/auster-newyork3/#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 31 May 2008 13:18:48 +0000</pubDate>
		<dc:creator>rickie</dc:creator>
				<category><![CDATA[いろんな本]]></category>
		<category><![CDATA[英語を読む]]></category>
		<category><![CDATA[文学]]></category>
		<category><![CDATA[書評]]></category>
		<category><![CDATA[高校生向け書籍]]></category>

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		<description><![CDATA[
語彙レベル★☆☆☆｜ストーリー★★★☆｜知的興奮度★★★★｜前提知識☆☆☆☆｜対象レベル 英検2級以上｜ジャンル 純文学｜314p.｜英語


ポール・オースター(Paul Auster) を有名にした「New York&#160; 3 部作」です。つながっているようで，つながっていない中編小説3本で構成されています。
日本では柴田元幸訳で有名になりました。柴田元幸氏が訳した現代アメリカ小説は，村上春樹が訳したアメリカ小説と並んで，柴田文学とでも言うべき一ジャンルを形成しています。柴田訳で読むのもそれ自体の価値があるでしょうが，ここでは原書を紹介しておきます。
3部作を一冊にまとめた本と，3冊に分冊しているバージョン，それに日本で刊行されているバージョンがあります。日本刊行版は，巻末に語彙がついているのがうれしいかもしれません。
3部作は次の3つで，それぞれの語彙レベルを示しておきます。

&#8220;City of Glass&#8221;　（邦題：「シティ・オブ・グラス」）　★☆☆☆
&#8220;Ghosts&#8221;　（邦題：「幽霊たち」）　★★☆☆
&#8220;The Locked Room&#8221;　（邦題：「鍵のかかった部屋」）　★★☆☆

星を微妙に分けていますが，この中でいちばん語彙レベルを高くした &#8220;The Locked Room&#8221; でも，ふつうの小説よりはやさしめでしょう。三作のキーワードは，ニューヨーク，小説，探偵。
まず，&#8221;City of Glass&#8221; は，探偵小説を書く小説家である主人公 Quinn のもとに一本の間違い電話がかかって来ることから始まります。
&#8216;Hello?&#8217; said the voice.&#8216;Who is this?&#8217; asked Quinn.&#8216;Hell?&#8221; said the voice again.&#8216;I&#8217;m listening,&#8217; said Quinn. &#8216;Who is this?&#8217;&#8216;Is this Paul Auster?&#8217; asked the voice. &#8216;I would like to speak to Mr Paul Auster.&#8217;&#8216;There&#8217;s no one [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div class="bookdata">
<p>語彙レベル★☆☆☆｜ストーリー★★★☆｜知的興奮度★★★★｜前提知識☆☆☆☆｜対象レベル 英検2級以上｜ジャンル 純文学｜314p.｜英語</p>
</div>
<div class="amazonlink"><iframe src="http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=ysnrrkmr-22&#038;o=9&#038;p=8&#038;l=as1&#038;asins=0143039830&#038;fc1=000000&#038;IS2=1&#038;lt1=_blank&#038;lc1=0000FF&#038;bc1=000000&#038;bg1=FFFFFF&#038;f=ifr&#038;nou=1" style="width:120px;height:240px;" scrolling="no" marginwidth="0" marginheight="0" frameborder="0"></iframe></div>
<p>ポール・オースター(Paul Auster) を有名にした「New York&nbsp; 3 部作」です。つながっているようで，つながっていない中編小説3本で構成されています。</p>
<p>日本では柴田元幸訳で有名になりました。柴田元幸氏が訳した現代アメリカ小説は，村上春樹が訳したアメリカ小説と並んで，柴田文学とでも言うべき一ジャンルを形成しています。柴田訳で読むのもそれ自体の価値があるでしょうが，ここでは原書を紹介しておきます。</p>
<p>3部作を一冊にまとめた本と，3冊に分冊しているバージョン，それに日本で刊行されているバージョンがあります。日本刊行版は，巻末に語彙がついているのがうれしいかもしれません。</p>
<p>3部作は次の3つで，それぞれの語彙レベルを示しておきます。</p>
<ul>
<li>&#8220;City of Glass&#8221;　（邦題：「シティ・オブ・グラス」）　★☆☆☆</li>
<li>&#8220;Ghosts&#8221;　（邦題：「幽霊たち」）　★★☆☆</li>
<li>&#8220;The Locked Room&#8221;　（邦題：「鍵のかかった部屋」）　★★☆☆</li>
</ul>
<p>星を微妙に分けていますが，この中でいちばん語彙レベルを高くした &#8220;The Locked Room&#8221; でも，ふつうの小説よりはやさしめでしょう。三作のキーワードは，ニューヨーク，小説，探偵。</p>
<p>まず，&#8221;City of Glass&#8221; は，探偵小説を書く小説家である主人公 Quinn のもとに一本の間違い電話がかかって来ることから始まります。</p>
<blockquote><p>&#8216;Hello?&#8217; said the voice.<br />&#8216;Who is this?&#8217; asked Quinn.<br />&#8216;Hell?&#8221; said the voice again.<br />&#8216;I&#8217;m listening,&#8217; said Quinn. &#8216;Who is this?&#8217;<br />&#8216;Is this Paul Auster?&#8217; asked the voice. &#8216;I would like to speak to Mr Paul Auster.&#8217;<br />&#8216;There&#8217;s no one here by that name.&#8217;<br />&#8216;Paul Auster. Of the Auster Detective Agency.&#8217;<br />&#8216;I&#8217;m sorry,&#8217; said Quinn. &#8216;You must have the wrong number.&#8217;<br />&#8216;This is a matter of utmost urgency,&#8217; said the voice.<br />&#8216;There&#8217;s nothing I can do for you,&#8217; said Quinn. &#8216;There is no Paul Auster here.&#8217;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　(&#8221;City of Glass&#8221;)</p>
</blockquote>
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<p>ねっ，おもしろそうでしょ。Quinn を Paul Auster と間違えてかけてきているのですが，Paul Auster とはこの小説の筆者自身なわけです。ここからQuinnは，探偵 Paul Auster となって，ある人物の追跡を始める，というストーリーです。こう書くとひところ流行した，小説自体がネタ，作者と読者自体を主題にした&lt;メタ小説&gt;のように見えるかもしれません。事実そういうところもあり，ポストモダンな小説の一つとして扱われることもありますが，あまり理屈っぽくはなく，迷路のようなストーリーを楽しんで読めると思います。ただし，巻末ですべての謎が解決される推理小説のようなものを期待しているとはぐらかされるかも。</p>
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<p>二作目の&#8221;Ghosts&#8221; も探偵の話。ある探偵が謎の人物から依頼を受けて，別の謎の人物の監視を始めます。その監視が何カ月にも及び，次第に監視しているのか監視されているのかわからなくなって．．．というはなし。</p>
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<p>三作目の &#8220;The Locked Room&#8221; では，そこそこ売れた小説家の主人公が，突然消息を絶った少年時代の友人の原稿をその妻から受け取って出版するのですが，主人公は友人の妻と恋におち，その上原稿が大ヒットした後になって死んだと思っていた友人から連絡がきて．．．。わたしはこれがいちばん好きかな。全体的に村上春樹を思い出させる展開です。</p>
<p>単語レベルを人工的に押さえて，ノン・ネイティブ向けにリライトされているものや，児童・青少年向け文学をのぞけば，この本（とくに &#8220;City of Glass&#8221;）はこれ以上やさしく書けないというレベルです。この語彙でこれだけの小説が書けてしまうことに驚きます。</p>
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<p>それと，&#8221;City of Glass&#8221; にはマンガのバージョンがあります。文字を多くしたアメ・コミというかんじで，特におすすめはしませんが。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>Unexplained beauty arouses an irritation in me. (William Empson)</title>
		<link>http://www.where-are-we-going.com/quote/2008/05/q20080513/</link>
		<comments>http://www.where-are-we-going.com/quote/2008/05/q20080513/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 13 May 2008 11:27:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>rickie</dc:creator>
				<category><![CDATA[引用]]></category>
		<category><![CDATA[批評]]></category>
		<category><![CDATA[文学]]></category>

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		<description><![CDATA[「説明できない美は私をいらだたせる」 Seven Types of Ambiguity 『曖昧の七つの型』
直訳すると「説明されない美は私にいらだちをかき立てる」となりますが，要するに，「美は説明できないなんていわれるとムカつく」ってことです。
ウィリアム・エンプソンは(William Empson)は20世紀前半に活躍したイギリスの評論家・詩人。分析的でありながら，ことばに対する官能的なセンスを持ち合わせた人で，その点では後のロラン・バルトに似ていなくもないと言えます。
美は，芸術は説明できるのかと問われれば，最終的には説明できないと答えるしかないでしょうが，「最終的に」説明できないということと，ぜんぜんできないことは違います。「最終的に」できないのだからはじめからやっても無駄だ，とも思いません。語学などその最たるもので，ネイティブ並みの語学力なんか無理に決まっていますが，でも語学に意味がないなどとは言えないでしょう。
わたしはハウ・ツーもの，というか方法論ものが嫌いではありません。「映画の撮り方」（画面をどう構成するか，どう動かすか，コマ割りのしかたなど），「写真の撮り方」（フレーム・フォーカス・露出などなど），「小説の書き方」（人物・文体・視点・葛藤などなどなど）。それも分析的なものほどおもしろいですね。なにごとにつけ，神秘化してしまう言説は好きではありません。「人間が・女が書けていない」とか天からのご託宣のような評論ではなく，「センス」「雰囲気」で片づけてしまう半端な議論でもなく，美が発生するメカニズムを精緻に語ってほしいわけです。もちろん，それは一種の解体作業であって，解剖によってすべてが解き明かされるわけではないでしょう。そんなことは百も承知した上で，解剖に解剖を重ねてそれでも解明できないものを「美」と呼んだ方がいいのではないかと思ったりするのですね。
引用箇所が出てくる文脈は以下のとうりです。訳はいつものように拙訳です。

A first-rate wine-taster may only taste small amounts of wine, for fear of disturbing his palate, and I dare say it would really be unwise for an appreciative critic to use his intelligence too freely ; but there is no reason why these specialised habits should be imposed on [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「説明できない美は私をいらだたせる」 <em>Seven Types of Ambiguity</em> 『曖昧の七つの型』</p>
<p>直訳すると「説明されない美は私にいらだちをかき立てる」となりますが，要するに，「美は説明できないなんていわれるとムカつく」ってことです。</p>
<p>ウィリアム・エンプソンは(William Empson)は20世紀前半に活躍したイギリスの評論家・詩人。分析的でありながら，ことばに対する官能的なセンスを持ち合わせた人で，その点では後のロラン・バルトに似ていなくもないと言えます。</p>
<p>美は，芸術は説明できるのかと問われれば，最終的には説明できないと答えるしかないでしょうが，「最終的に」説明できないということと，ぜんぜんできないことは違います。「最終的に」できないのだからはじめからやっても無駄だ，とも思いません。語学などその最たるもので，ネイティブ並みの語学力なんか無理に決まっていますが，でも語学に意味がないなどとは言えないでしょう。</p>
<p>わたしはハウ・ツーもの，というか方法論ものが嫌いではありません。「映画の撮り方」（画面をどう構成するか，どう動かすか，コマ割りのしかたなど），「写真の撮り方」（フレーム・フォーカス・露出などなど），「小説の書き方」（人物・文体・視点・葛藤などなどなど）。それも分析的なものほどおもしろいですね。なにごとにつけ，神秘化してしまう言説は好きではありません。「人間が・女が書けていない」とか天からのご託宣のような評論ではなく，「センス」「雰囲気」で片づけてしまう半端な議論でもなく，美が発生するメカニズムを精緻に語ってほしいわけです。もちろん，それは一種の解体作業であって，解剖によってすべてが解き明かされるわけではないでしょう。そんなことは百も承知した上で，解剖に解剖を重ねてそれでも解明できないものを「美」と呼んだ方がいいのではないかと思ったりするのですね。</p>
<p>引用箇所が出てくる文脈は以下のとうりです。訳はいつものように拙訳です。</p>
<blockquote>
<p>A first-rate wine-taster may only taste small amounts of wine, for fear of disturbing his palate, and I dare say it would really be unwise for an appreciative critic to use his intelligence too freely ; but there is no reason why these specialised habits should be imposed on the ordinary drinker or reader. Specialists usually have a strong Trades Union sense, and critics have been perhaps too willing to insist that the operation of poetry is something magical, to which only their own method of incantation can be applied, or like the growth of a flower, which it would be folly to allow analysis to destroy by digging the roots up and crushing out the juices into the light of day. Critics, as &#8216;barking dogs’ on this view, are of two sorts: those who merely relieve themselves against the flower of beauty, and those, less continent, who afterwards scratch it up. I myself, I must confess, aspire to the second of these classes; unexplained beauty arouses an irritation in me, a sense that this would be a good place to scratch;</p>
<p>一流のソムリエは自分の口を鈍らせないようにするために，ワインをほんのちょっとしか味見しないが，鋭い批評家も知性を自由に発揮しすぎるのはまあ賢明ではなかろう。だが，こうした専門家的習性を普通の酒飲みや読者にまで押しつけていい理由はない。専門家というものはたいてい強い組合意識を持っているものであり，評論家も，「詩が及ぼす作用というものは魔法みたいなもので，わたしのやり方の呪文しか使えないのだ」とか「詩は花の成長に似て，分析と称して根を掘り起こしたり，花の蜜を絞りだし白日にさらしたりして台無しにするのはぱかげている」とあまりにも主張しがちである。この見方では，評論家は「吠える犬」と同様，二種類に分かれる。一つは単に美しい花に小便をひっかけるだけの者たちであり，もう一つはその後で花をほじくり出す自制心のない者たちである。私自身は後者でありたいと望んでいることを告白せねばならない。説明できない美は私にいら立ちを，ここはほじくるにはうってつけの場所だという感じをかき立てるのである。</p>
</blockquote>
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		<item>
		<title>Rose is a rose is a rose is a rose, is a rose. (Gertrude Stein)</title>
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		<comments>http://www.where-are-we-going.com/quote/2008/05/q20080506/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 06 May 2008 04:00:54 +0000</pubDate>
		<dc:creator>rickie</dc:creator>
				<category><![CDATA[引用]]></category>
		<category><![CDATA[文学]]></category>

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		<description><![CDATA[「バラはバラであって，バラ以外のなにものでもない」
有名な文句です。文法をぶち壊しているのところが，名文句たるゆえんの一つでしょう。
最初の出典は，ガートルード・スタイン(Gertrude Stein)の詩&#160; Sacred Emily の一節ですが，彼女自身もお気に入りの言葉だったらしく何度かこの言葉に触れていて，最初の rose に a がつくバージョンや，rose の数が違っているバージョンもあるようです。スタインはアメリカ生まれで，のちにパリへ移住して長いあいだそこで暮らします。 &#8220;America is my country, but Paris is my hometown.&#8221; ということばも有名です。20世紀前半の代表的なというか，異色のというか詩人・作家です。第一次大戦から戦間期にかけてのパリは，世界中から芸術家たちの集まった芸術の首都であり，彼女が交流した人もピカソ，マチスらの絵描き，ヘミングウェイ，パウンドらの小説家，詩人など多岐にわたります。ヘミングウェイらを Lost Generation と呼んだのも彼女だとされています。
有名な文句ですから，あちらこちらで引用されたり，改作されたりしています。私がきづいたものでは確か，Chaplin の「殺人狂時代」（だったかな？）の中のセリフとして使われていましたし，イギリスの元首相マーガレット・サッチャーは，&#8221;A crime is a crime is a crime.&#8221;と言ったそうです。Google で適当に検索してみると，たとえば &#8220;A child is a child is a child.&#8221;という言い回しで100件以上出てきます。
むろんこのことばは，「事物はその事物そのものである」という意味，論理学でいう「AはAである」という自同律，同一律を述べているということになるのでしょう。
たとえば，ナチスドイツの時代には，&#8221;Jews are Jews.&#8221; （ユダヤ人はしょせんユダヤ人だ）という言い方がされましたが，この場合主語のJews と補語の Jews ではコノテーションが異なっています。つまり，「ユダヤ人は××だ。」（××には発話者の偏見が代入される）というのに等しいわけです。
またたとえば，ルネ・マグリットの「これはパイプではない」(&#8221;Ceci n&#8217;est pas une pipe&#8221;)という絵は現実とイメージとことばの間のすきまをこじ開けた作品のように思えます。（フーコーが何か言っていたはずですが忘れちゃった）
スタインの言葉はそれらとはちがって，どの rose という単語も rose そのものでしょう。存在の揺るがし難さ，その驚嘆すべき自明さを語っているようです。
日本語で「桜は桜」というのとはちょっとちがいそうですね。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「バラはバラであって，バラ以外のなにものでもない」</p>
<p>有名な文句です。文法をぶち壊しているのところが，名文句たるゆえんの一つでしょう。</p>
<p>最初の出典は，ガートルード・スタイン(Gertrude Stein)の詩&nbsp; Sacred Emily の一節ですが，彼女自身もお気に入りの言葉だったらしく何度かこの言葉に触れていて，最初の rose に a がつくバージョンや，rose の数が違っているバージョンもあるようです。スタインはアメリカ生まれで，のちにパリへ移住して長いあいだそこで暮らします。 &#8220;America is my country, but Paris is my hometown.&#8221; ということばも有名です。20世紀前半の代表的なというか，異色のというか詩人・作家です。第一次大戦から戦間期にかけてのパリは，世界中から芸術家たちの集まった芸術の首都であり，彼女が交流した人もピカソ，マチスらの絵描き，ヘミングウェイ，パウンドらの小説家，詩人など多岐にわたります。ヘミングウェイらを Lost Generation と呼んだのも彼女だとされています。</p>
<p>有名な文句ですから，あちらこちらで引用されたり，改作されたりしています。私がきづいたものでは確か，Chaplin の「殺人狂時代」（だったかな？）の中のセリフとして使われていましたし，イギリスの元首相マーガレット・サッチャーは，&#8221;A crime is a crime is a crime.&#8221;と言ったそうです。Google で適当に検索してみると，たとえば &#8220;A child is a child is a child.&#8221;という言い回しで100件以上出てきます。</p>
<p>むろんこのことばは，「事物はその事物そのものである」という意味，論理学でいう「AはAである」という自同律，同一律を述べているということになるのでしょう。</p>
<p>たとえば，ナチスドイツの時代には，&#8221;Jews are Jews.&#8221; （ユダヤ人はしょせんユダヤ人だ）という言い方がされましたが，この場合主語のJews と補語の Jews では<dfn title="言外の意味，含み，含蓄">コノテーション</dfn>が異なっています。つまり，「ユダヤ人は××だ。」（××には発話者の偏見が代入される）というのに等しいわけです。</p>
<p>またたとえば，ルネ・マグリットの<a href="http://en.wikipedia.org/wiki/Image:MagrittePipe.jpg" target="_blank" rel="lightbox[173]">「これはパイプではない」(&#8221;Ceci n&#8217;est pas une pipe&#8221;)という絵</a>は現実とイメージとことばの間のすきまをこじ開けた作品のように思えます。（フーコーが何か言っていたはずですが忘れちゃった）</p>
<p>スタインの言葉はそれらとはちがって，どの rose という単語も rose そのものでしょう。存在の揺るがし難さ，その驚嘆すべき自明さを語っているようです。</p>
<p>日本語で「桜は桜」というのとはちょっとちがいそうですね。</p>
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		<title>年末のブックガイド</title>
		<link>http://www.where-are-we-going.com/bookish_life/2008/05/bookreview-of-the-year/</link>
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		<pubDate>Fri, 02 May 2008 20:15:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator>rickie</dc:creator>
				<category><![CDATA[いろんな本]]></category>
		<category><![CDATA[文学]]></category>
		<category><![CDATA[書評]]></category>

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		<description><![CDATA[2, 3年前までは，年末になるとその年に刊行された本についてのおすすめの紹介やら書評を載せた雑誌やムックが出ていたものでした。いろんな作家・評論家・学者たちの寄稿を受けて，なかなか読ませるものが多くて重宝したものです。
ミステリー界には「このミス」があって，こちらは今も健在ですね。これもいろいろ参考にさせてもらってます。ふだんからミステリー系をきっちりフォローしているわけではないので，「このミス」の書評・コメントの中から「読まねば」と思わせてくれるやつ，わたしに合いそうなやつなんかをピックアップして手帳に書き込んでいそいそと書店に出かけたり，アマゾンをのぞいたりするわけです。
「このミス」の同工異曲ものも出ているようですし，SFバージョン，ライトノベルバージョンなんかもあるみたいなのですが，肝心の（というのも変だが）一般書籍（というのも変だが）に関する年末恒例のガイドがここのところ刊行されなくなってしまって，年末の楽しみが一つ減ってしまった気がする。
この種のものでよかったのは，2004年まで(?)出ていた，「ことし読む本 いち押しガイド」という雑誌「リテレール」の別冊でした。寄稿者の顔触れも豪華でしたし，内容も製本も，「編集部，チカラが入ってるなあ」というつくりでしたね。ヤスケン死後，「リテレール」自体が止まってしまい，2005年からは出なくなったのが惜しい。
それを引き継いでわけでもないんだろうけど，「日本一怖い! ブック・オブ・ザ・イヤー」というのが，雑誌「SIGHT」の別冊として出ていました（2005年と2006年？）。こちらはちょっと薄めで，つくりも内容とあまり対応せずちょっと安っぽくて，本屋で見ても最初はこちらの意識をスルーしていました。それでも中身は悪くないし，類書もありませんでしたしね。でも，2007年年末は，結局出ずじまい。やっぱり買う人少ないんですかねえ。エライ先生方の原稿料に対して，ペイしないのかもしれません。これだけ世の中に書評ブログがあふれかえっていれば，需要がないのも当たり前なんでしょうか。
健在なのは，みすず書房で出ている「みすず」の1,2月合併号の「読書アンケート特集」くらいかな。これはこの出版社らしく，寄稿者も学者メインで理系の人も多く，本の選び方も小説は少なく，学術書中心のハイブラウなブックガイドです。「今年読んで興味深かった本」というテーマでのアンケートなので，古い本も入っています。この1,2月合併号が欲しくて，年間購読をした年もあったっけ。今年は買いそこなっていたのだけれど，4月になって横浜有隣堂ルミネ店で「みすず書房フェア」かなんかをやっていて，そこで手に入れました。ずいぶん遅れたけどね。
まだパラパラと見ているだけなのですが（もともと通読しませんが），「そんな本あったんだ」というものもあって楽しいのですね。ざっと見て，二人以上上げているのが目につく本は，

田中純　「都市の詩学－場所の記憶と兆候」　　これを挙げてる人がいちばん多いかも
山本義隆　「16世紀文化革命」　　これも多かった
今村仁司　「社会性の哲学」　　　亡くなったからというわけではないでしょう
亀山郁夫訳　「カラマーゾフの兄弟」　　順当ですね
福岡伸一　「生物と無生物のあいだ」　　これも順当
野矢茂樹　「大森荘蔵－哲学の見本」
四方田犬彦　「先生とわたし」　　　この2冊は東大の神話的教師もの
ジョルジョ・アガンベン　「例外状態」　アガンベンはこれ以外も
テッサ・モーリス－スズキ　「北朝鮮へのエクソダス－『帰国事業』の影をたどる」　これは知らなかった
蓮實重彦　「『赤』の誘惑－フィクション論序説」

ってなところでしょうか。買ったわりに読んでないのが多くて，わたしのコメントが書けなくて悔しい。
数学者の野崎昭弘さんが「ホームレス中学生」を挙げているのがビックリ。
「悪い方に悪い方にと流れてゆくような世相の中で，久しぶりに気持ちのよい，すばらしい本に出会った，と思いました。」
そうだったのか。
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>2, 3年前までは，年末になるとその年に刊行された本についてのおすすめの紹介やら書評を載せた雑誌やムックが出ていたものでした。いろんな作家・評論家・学者たちの寄稿を受けて，なかなか読ませるものが多くて重宝したものです。</p>
<p>ミステリー界には「このミス」があって，こちらは今も健在ですね。これもいろいろ参考にさせてもらってます。ふだんからミステリー系をきっちりフォローしているわけではないので，「このミス」の書評・コメントの中から「読まねば」と思わせてくれるやつ，わたしに合いそうなやつなんかをピックアップして手帳に書き込んでいそいそと書店に出かけたり，アマゾンをのぞいたりするわけです。</p>
<p>「このミス」の同工異曲ものも出ているようですし，SFバージョン，ライトノベルバージョンなんかもあるみたいなのですが，肝心の（というのも変だが）一般書籍（というのも変だが）に関する年末恒例のガイドがここのところ刊行されなくなってしまって，年末の楽しみが一つ減ってしまった気がする。</p>
<p>この種のものでよかったのは，2004年まで(?)出ていた，「ことし読む本 いち押しガイド」という雑誌「リテレール」の別冊でした。寄稿者の顔触れも豪華でしたし，内容も製本も，「編集部，チカラが入ってるなあ」というつくりでしたね。ヤスケン死後，「リテレール」自体が止まってしまい，2005年からは出なくなったのが惜しい。</p>
<p>それを引き継いでわけでもないんだろうけど，「日本一怖い! ブック・オブ・ザ・イヤー」というのが，雑誌「SIGHT」の別冊として出ていました（2005年と2006年？）。こちらはちょっと薄めで，つくりも内容とあまり対応せずちょっと安っぽくて，本屋で見ても最初はこちらの意識をスルーしていました。それでも中身は悪くないし，類書もありませんでしたしね。でも，2007年年末は，結局出ずじまい。やっぱり買う人少ないんですかねえ。エライ先生方の原稿料に対して，ペイしないのかもしれません。これだけ世の中に書評ブログがあふれかえっていれば，需要がないのも当たり前なんでしょうか。</p>
<p>健在なのは，みすず書房で出ている「みすず」の1,2月合併号の「読書アンケート特集」くらいかな。これはこの出版社らしく，寄稿者も学者メインで理系の人も多く，本の選び方も小説は少なく，学術書中心のハイブラウなブックガイドです。「今年読んで興味深かった本」というテーマでのアンケートなので，古い本も入っています。この1,2月合併号が欲しくて，年間購読をした年もあったっけ。今年は買いそこなっていたのだけれど，4月になって横浜有隣堂ルミネ店で「みすず書房フェア」かなんかをやっていて，そこで手に入れました。ずいぶん遅れたけどね。</p>
<p>まだパラパラと見ているだけなのですが（もともと通読しませんが），「そんな本あったんだ」というものもあって楽しいのですね。ざっと見て，二人以上上げているのが目につく本は，</p>
<ul>
<li>田中純　「都市の詩学－場所の記憶と兆候」　　これを挙げてる人がいちばん多いかも</li>
<li>山本義隆　「16世紀文化革命」　　これも多かった</li>
<li>今村仁司　「社会性の哲学」　　　亡くなったからというわけではないでしょう</li>
<li>亀山郁夫訳　「カラマーゾフの兄弟」　　順当ですね</li>
<li>福岡伸一　「生物と無生物のあいだ」　　これも順当</li>
<li>野矢茂樹　「大森荘蔵－哲学の見本」</li>
<li>四方田犬彦　「先生とわたし」　　　この2冊は東大の神話的教師もの</li>
<li>ジョルジョ・アガンベン　「例外状態」　アガンベンはこれ以外も</li>
<li>テッサ・モーリス－スズキ　「北朝鮮へのエクソダス－『帰国事業』の影をたどる」　これは知らなかった</li>
<li>蓮實重彦　「『赤』の誘惑－フィクション論序説」</li>
</ul>
<p>ってなところでしょうか。買ったわりに読んでないのが多くて，わたしのコメントが書けなくて悔しい。</p>
<p>数学者の野崎昭弘さんが「ホームレス中学生」を挙げているのがビックリ。</p>
<p>「悪い方に悪い方にと流れてゆくような世相の中で，久しぶりに気持ちのよい，すばらしい本に出会った，と思いました。」</p>
<p>そうだったのか。</p>
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		<item>
		<title>April is the cruellest month (T. S. Eliot)</title>
		<link>http://www.where-are-we-going.com/quote/2008/04/q20080408/</link>
		<comments>http://www.where-are-we-going.com/quote/2008/04/q20080408/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 07 Apr 2008 20:53:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>rickie</dc:creator>
				<category><![CDATA[引用]]></category>
		<category><![CDATA[文学]]></category>

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		<description><![CDATA[「四月は最も残酷な季節」
T. S. Eliot の超難解な詩（といっても20ページを超える長詩）の第一行目の有名な文句です。あまりに難解なので注釈書もいくつも出ています。聖書，シェイクスピア，ボードレール，ダンテ，オウィディウス，その他サンスクリットにいたるまでのさまざまな引用とイメージのちりばめられた詩です。1948年ノーベル文学賞受賞。
私は大学時代にこの詩を途中まで読んで投げ出した，とばかり思っていましたが，本棚の奥から Eliot の &#8220;Collected Poems&#8221; を引っ張り出してみると，最後まで書き込みがしてあって，また大修館から出ていた注釈書（福田陸太郎，森山泰夫）にも最後までアンダーラインがしてあります。それなのに投げ出したと思っていたわけですから，結局読むには読みきったが，内容的にはお手上げだったということなのでしょう。
冒頭の部分はこうなっています。

April is the cruellest month, breedingLilacs out of the dead land, mixingMemory and desire, stirringDull roots with spring rain.
四月はこの上なく残酷な月，死の大地からライラックを育て上げ，追憶と欲望をかき混ぜ，春の雨で生気のない根を奮い立たせる。
　　　　　　　福田陸太郎，森山泰夫訳

福田・森山の注釈書によれば，「万物に生気のよみがえる春の訪れをかえって『残酷』に感ずるというのは，草木（すなわち人間）が生命の旺溢した生活を志すどころか，かえって死も同然な無気力な生活に安住することを欲しているからにほかならない」とあります。タナトスってやつですか。事実この直後は次のようになっています。

Winter kept us warm, coveringEarth in forgetful snow, feedingA little life with dried tubers.
冬はわれわれを暖かく包み，忘却の雪で大地を蔽い，乾からびた球根で小さないのちを養ってくれた。

ひからびた忘却の冬が暖かく，雨で奮い立つ追憶の春は残酷，と意識されていることになります。
あるいは，冬は死ではなく，未生段階，生まれる前なのかもしれません( tuber = little life &#8211;&#62; root)(warm, womb)。その場合，残酷さとは，この世に生まれ出でることのの残酷さということになります。
あれっ，歳取ると勝手な解釈をするようになるもんだな。
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			<content:encoded><![CDATA[<p>「四月は最も残酷な季節」</p>
<p>T. S. Eliot の超難解な詩（といっても20ページを超える長詩）の第一行目の有名な文句です。あまりに難解なので注釈書もいくつも出ています。聖書，シェイクスピア，ボードレール，ダンテ，オウィディウス，その他サンスクリットにいたるまでのさまざまな引用とイメージのちりばめられた詩です。1948年ノーベル文学賞受賞。</p>
<p>私は大学時代にこの詩を途中まで読んで投げ出した，とばかり思っていましたが，本棚の奥から Eliot の &#8220;Collected Poems&#8221; を引っ張り出してみると，最後まで書き込みがしてあって，また大修館から出ていた注釈書（福田陸太郎，森山泰夫）にも最後までアンダーラインがしてあります。それなのに投げ出したと思っていたわけですから，結局読むには読みきったが，内容的にはお手上げだったということなのでしょう。</p>
<p>冒頭の部分はこうなっています。</p>
<blockquote>
<p>April is the cruellest month, breeding<br />Lilacs out of the dead land, mixing<br />Memory and desire, stirring<br />Dull roots with spring rain.</p>
<p>四月はこの上なく残酷な月，<br />死の大地からライラックを育て上げ，<br />追憶と欲望をかき混ぜ，春の雨で<br />生気のない根を奮い立たせる。</p>
<p>　　　　　　　福田陸太郎，森山泰夫訳</p>
</blockquote>
<p>福田・森山の注釈書によれば，「万物に生気のよみがえる春の訪れをかえって『残酷』に感ずるというのは，草木（すなわち人間）が生命の旺溢した生活を志すどころか，かえって死も同然な無気力な生活に安住することを欲しているからにほかならない」とあります。<dfn title="死への願望">タナトス</dfn>ってやつですか。事実この直後は次のようになっています。</p>
<blockquote>
<p>Winter kept us warm, covering<br />Earth in forgetful snow, feeding<br />A little life with dried tubers.</p>
<p>冬はわれわれを暖かく包み，<br />忘却の雪で大地を蔽い，乾からびた球根<br />で小さないのちを養ってくれた。</p>
</blockquote>
<p>ひからびた忘却の冬が暖かく，雨で奮い立つ追憶の春は残酷，と意識されていることになります。</p>
<p>あるいは，冬は死ではなく，未生段階，生まれる前なのかもしれません( tuber = little life &#8211;&gt; root)(warm, womb)。その場合，残酷さとは，この世に生まれ出でることのの残酷さということになります。</p>
<p>あれっ，歳取ると勝手な解釈をするようになるもんだな。</p>
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